倶胝参天龍得一指頭は、遍参なり、倶胝唯竪一指は、遍参なり。
玄沙示衆云、我与釈迦老子同参。
時有僧出問、未審、参見甚麼人。
師云、釣魚船上謝三郎。
釈迦老子参底の頭正尾正、おのづから釈迦老子と同参なり。玄沙老漢参底の頭正尾正、おのづから玄沙老漢と同参なるがゆえに、釈迦老子と玄沙老漢と同参なり。釈迦老子と玄沙老漢と、参足・参不足を究竟するを、遍参の道理とす。釈迦老子は玄沙老漢と同参するゆえに古仏なり、玄沙老漢は釈迦老子と同参なるゆえに児孫なり。この道理、審細に遍参すべし。
釣魚船上謝三郎、この宗旨、あきらめ参学すべし。いはゆる釈迦老子と玄沙老漢と、同時同参の時節を遍参功夫するなり。釣魚船上謝三郎を参見する玄沙老漢ありて同参す、玄沙山上禿頭漢を参見する謝三郎ありて同参す。同参・不同参、みづから功夫せしめ、他づから功夫ならしむべし。玄沙老漢と釈迦老子と同参す、遍参す。謝三郎と与我と参見甚麼人の道理を、遍参すべし、同参すべし。いまだ遍参の道理現在前せざれば、参自不得なり、参自不足なり、参他不得なり、参他不足なり、参人不得なり、参我不得なり、参拳頭不得なり、参眼睛不得なり、自釣自上不得なり、未釣先上不得なり。
すでに遍参究尽なるには、脱落遍参なり。海枯不見底なり、人死不留心なり。海枯といふは、全海全枯なり。しかあれども、海もし枯竭しぬれば、不見底なり。不留全留、ともに人心なり。人死のとき、心不留なり。死を拈来せるがゆえに、心不留なり。このゆえに、全人
入畫看よりこのかた六十五百千萬億の轉身徧参す。等閑の入一叢林出一叢林を徧参とするにあらす。全眼睛の参見を徧参とす。打得徹を徧参とす。面皮厚多少を見徹する、すなはち徧参なり。
雪峰道の徧参の宗旨、もとより出嶺をすすむるにあらす、北往南来をすすむるにあらす。玄沙道の達磨不来東土、二祖不往西天の徧参を助發するなり、たとへはなんそ徧参にあらさらんといはんかことし。
玄沙道の達磨不来東土は、来而不来の乱道にあらす、大地無寸土の道理なり。いはゆる達磨は、命脈一尖なり。たとひ東土の全土たちまちに極涌して、参侍すとも轉身にあらす。さらに語脈の翻身にあらす。不来東土なるゆゑに、東土に見面するなり。東土たとひ佛面祖面相見すとも来東土にあらす、拈得佛祖失却鼻孔なり。
おほよそ土は東西にあらす、東西は土にかかはれす。二祖不往西天は、西天を徧参するには、不往西天なり。二祖もし西天にゆかは、一臂落了也。しはらく二祖なにとしてか西天にゆかさる。いはゆる碧眼の眼睛裏に跳入するゆゑに、不往西天なり。もし碧眼裏に跳入せすは、必定して西天にゆくへし。抉出達磨眼睛を徧参とす。西天にゆき東土にきたる、徧参にあらす。天台南嶽にいたり、五台上天にゆくをもて、徧参とするにあらす。四海五湖、もし透脱せさらんは、徧参にあらす。四海五湖に往来するは、四海五湖をして徧参せしめす、路頭を滑ならしむ、脚下を滑ならしむ、ゆゑに徧参を打失せしむ。
龍泉院参禅会45周年の記念行事として、椎名老師著作の『やさしく読む参同契・宝鏡三昧』を大法輪閣から上梓しました。『やさしく読む参同契・宝鏡三昧』の出版を広く知ってもらうために、曹洞宗総合研究センターの小早川浩大さんと相談した時に、小早川さんから2019年には洞山良价禅師が1150回忌を迎えることになることをお聞きしました。
お聞きした時にはそう言うこともあるのかという思いでしたが、2017年に日本臨済宗各派が総力をあげて、臨済義玄禅師1150回忌を華々しく催しました。洞山良价禅師は臨済義玄禅師より2年後に示寂されました。だが、日本曹洞宗では曹洞宗の開祖である洞山良价禅師の1150回忌に関する動きは、全く見ることがありませんでした。
臨済宗では開祖の臨在義玄没後1150年に関する盛大なイベントが続々となされているのに、曹洞宗では開祖の洞山良价禅師没後1150年に関して、報恩の法要を行わないのは如何なものかと思い、小畑代表にお話したことがありました。
それからしばらくして、龍泉院参禅会50周年を迎えるにあたって、小畑代表から洞山良价禅師1150回忌を記念行事としてはどうかとの相談がありました。椎名老師は『洞山』を上梓されていることもあり、ぴったしの行事であると小畑代表に申し上げました。
龍泉院参禅会50周年の記念行事は、椎名老師に洞山良价禅師に関する記念講演をお願いし、次いで椎名老師と臨川書店の禅僧シリーズで『石頭』を上梓されている石井修道先生との対談を行うことで、小畑代表と基本的な合意ができました。
龍泉院参禅会50周年の記念講演のタイトルは「洞山良价禅師の千百五十回遠忌に想う」と決まり、次に椎名老師と石井先生との対談のタイトルをどうするか、即ち、何についてお二人で話し合っていただくかについて、椎名老師と小畑代表と検討に入りました。
ご老師から石井修道先生の駒澤大学での退任記念講演の論文が参考になるのではないかとのお話がありましたので、早速『駒澤大学佛教学部論集』第45号を取り出し読んでみました。タイトルは「中国禅と道元禅」でした。内容的には石井先生のご専門の中国禅宗史からみた場合、道元禅師の禅と中国禅とは、連続している面と非連続の面が見受けられると指摘され、連続面と非連続面について、それぞれ具体的に述べられた論文でした。
今回「洞山良价禅師千百五十回遠忌」を取りあげたのは、日本曹洞宗では中国禅の代表格である洞山良价禅師がいかに重視されていないか、即ち、中国禅と非連続である面を世に知らしめかったためでもあります。
令和4年12月11日(日)午後1時から歳末助け合い托鉢を行いました。午前中は温かかったのですが、托鉢が始まるころから曇って来て、陽がささず段々と寒さがつのってきました。
12時半に長全寺さんに集合、今年の托鉢には東堂老師と明石方丈さんを含めて10名が参加しました。長全寺の本堂前で『般若心経』一巻を全員でお唱えした後、歳末助け合い托鉢と書かれた旗を先頭に、柏駅に向いました。柏駅東口に到着後、浄財箱を首から吊るし、二列に分かれて並び、募金を呼び掛けました。
龍泉院参禅会50周年の記念行事について小畑代表と打ち合わせ、椎名老師に洞山良价禅師に関する記念講演をお願いし、次いで臨川書店の禅僧シリーズで『石頭』を上梓されている石井修道先生と椎名老師との対談を行うことで、小畑代表と基本的な合意ができました。
早速、小畑代表が椎名老師とこの基本案をご説明したところ、大筋ではご了解いただきましたが、洞山良价禅師に関する講演は、石井修道先生にお願いしたいとのことでした。
そこで石井修道先生にこのことをお願いしたところ、先生は椎名老師が『洞山』を上梓されていることからご遠慮されましたが、椎名老師からの強いてのご要望であることを申しあげて、ご了解をいただきました。
数日後、石井修道先生から記念講演のタイトルが「洞山良价禅師の千百五十回遠忌に想う」であるとのお知らせが入りました。
「洞山良价禅師千百五十回遠忌」の記念講演と対談のタイトルが固まった時点で、何日、どのような形で行うか、基本構想を作成しなければなりません。第1回の50周年実行委員会で10月30日に実施することが決まり、第2回の実行委員会で報恩坐禅と記念法要は午前中に行い、午後から記念講演と対談を行うことになりました。
早速チラシ作成に取り掛かりました。チラシの原案は杉浦さんにお願いし、第3回の実行委員会でチラシの原案を検討していただき、チラシ案が決定しました。
チラシを500部印刷して7月の定例参禅会で配布を開始し、記念講演・対談の参加者募集に取り掛かりました。
令和4年12月4日(日)午前9時から、第40回成道会が行われました。
明けの明星が光るの見てお悟を開かれたお釈迦さまに感謝する坐禅を二炷行ってから、本堂に戻り、明石方丈様を導師として成道会の法要が行われました。
法要の後、椎名東堂老師との一問一答の問答が交わされました。次いで明石方丈様から「生はひと時のありよう」というテーマで、次のようなご法話がありました。
『生き物が老いるということ』(稲垣栄洋著 中公新書ラクレ)によると、私達人間は死んだ細胞と生きた細胞とからできており、生命の営みとは、死んでいるのも生きているのも同じであること。道元禅師の「生死」の巻から、「不生」「不滅」のお話があり、ありのままの姿を受け入れることが「不生」であり、「不滅」であるとのお話がありました。
なお成道会の参加者は15名でした。