令和4年12月4日(日)午前9時から、第40回成道会が行われました。
明けの明星が光るの見てお悟を開かれたお釈迦さまに感謝する坐禅を二炷行ってから、本堂に戻り、明石方丈様を導師として成道会の法要が行われました。
法要の後、椎名東堂老師との一問一答の問答が交わされました。次いで明石方丈様から「生はひと時のありよう」というテーマで、次のようなご法話がありました。
『生き物が老いるということ』(稲垣栄洋著 中公新書ラクレ)によると、私達人間は死んだ細胞と生きた細胞とからできており、生命の営みとは、死んでいるのも生きているのも同じであること。道元禅師の「生死」の巻から、「不生」「不滅」のお話があり、ありのままの姿を受け入れることが「不生」であり、「不滅」であるとのお話がありました。
なお成道会の参加者は15名でした。
佛祖の大道は、究竟參徹なり。足下無絲去なり。足下雲生なり。しかもかくのごとくなりといへども、華開世界起なり、吾常於此切なり。このゆゑに甜瓜徹蔕甜なり、苦瓠連根苦なり。甜甜徹蔕甜なり。かくのごとく參學しきたれり。
玄沙山宗一大師、因雪峰召師曰、備頭陀、何不徧參去。師云、達磨不來東土、二祖不往西天。雪峰深然之。
いはゆる徧參底の道理は、翻巾斗參なり、聖諦の亦不爲なり、何階級之有なり。
南嶽大慧禪師、はじめて曹谿古佛に參ずるに、古佛いはく、是甚麼物恁麼來。この泥彈子を徧參すること始終八年なり。末上に徧參する一著子を、古佛に白してまうさく、懷讓會得當初來時、和尚接懷讓是甚麼物恁麼來。ちなみに曹谿古佛道、作麼生會。ときに大慧まうさく、説似一物即不中。これ徧參現成なり、八年現成なり。曹谿古佛とふ、還假修證否。大慧まうさく、修證不無、染汚即不得。すなはち曹谿いはく、吾亦如是、汝亦如是、乃至西天諸佛諸祖亦如是。これよりさらに八載徧參す。頭正尾正かぞふるに、十五白の徧參なり。恁麼來徧參なり。説似一物即不中、諸佛諸祖を開殿參見する、すなはち亦如是參なり。
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午前10時45分、雅楽が流れる中、法弟は本堂に入り戒師様の入堂を待ちました。
戒師様が入堂された後、上香普同三拝があり、戒師様が法弟21名の得度を請する奉請・礼賛が述べられました。
続いて得度者全員へ浄水を注ぎ身を清める洒水灌頂が行われ、新得度者が一人づつ戒師様の前に進み出て、剃髪を受けました。
剃髪の儀の次に安名と絡子の授与行われ、新得度者は一名づつ戒師様の前に進み出て、都菅の明石住職様から絡子を首に掛けてもらい、安名の入った絡子袋をいただきました。また、松井さんと小畑代表幹事は絡子を再度いただきました。
絡子授与の後、全員で「搭袈裟之偈」をお唱えし、戒師様へ五体投地の三拝を致しました。
次に十六条からなる菩薩戒を、一句ずつ戒師様に続いて全員で唱和し、最後に戒師様の「能く保つや否や」との問いかけに対して、法弟全員で「能く保つ」とお答えしました。
授菩薩戒の後、全員にお血脈が授与され、今回の法弟の中では最年少の市川洋介さんが、誓いの言葉を述べられました。
これまで菩薩戒は守らなければならない義務として受け止めていましたが、最近になって、日常生活を有意義に過ごすための努力目標であるということを知りました。良き習慣を身につければ、逆に身を守ってくれるようになると思います。
『華厳経』の出てくる善財童子は53人の善知識を歴訪し、真実の智慧を体得しました。私は是非善財童子を見習いたいと思います。これからの世の中の動静について見極めて行くためには、十分な体力と冷静な判断力とが必要となります。今回受けた菩薩戒は体力と判断力を養成する上で、どのような働きをするのか、じっくりと見極めて行きたいと思います。
以上が石川洋介さんの誓いの言葉でした。
戒師様が回向文と処世界梵を読み上げられ、普同三拝の後、説戒にかえて祝辞が述べられました。祝辞では戒律の中でも最も重要な箇所について、掻い摘んで次のようなお話がありました。
洪州百丈山大智禅師云、眼耳鼻舌身意、各各不貪染一切有無諸法、是名受持四句偈、亦名四果。
而今の自他にかかはれさる眼耳鼻舌身意、その頭正尾正、はかりきはむへからす。このゆゑに渾身おのれつから不貪染なり、渾一切有無諸法に不貪染なり。受持四句偈おのれつからの渾渾を、不貪染といふ、これをまた四果となつく。四果は阿羅漢なり。
しかあれは而今現成の眼耳鼻舌身意すなはち阿羅漢なり。搆本宗末おのつから透脱なるへし。始到牢關なるは、受持四句偈なり、すなはち四果なり。透頂透底全體現成、さらに糸毫の遺漏あらさるなり。畢竟して道取せん作麼生道。いはゆる羅漢在凡、諸法教他罣礙羅漢在聖、諸法教他解脱。須知羅漢與諸法同参也。既證阿羅漢、被阿羅漢礙也。所以空王已前老拳頭也。
正法眼蔵 阿羅漢
龍泉院参禅会発足50周年の記念行事の第一弾として、10月2日(日)午前10時から第5回在家得度式が行われました。
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10時から法弟が本堂に入場し、殿鍾三会が打たれる中、戒師を務められる椎名老師一行が入堂しました。
上香普同三拝の後、全員で『般若心経』一巻をお唱えし、維那を務める杉浦さんが在家得度式開会の回向文を読み上げられました。続いて戒師様から第5回在家得度式開催にあたって、次のようなご挨拶がありました。
本日はおめでとうございます。第5回在家得度式は龍泉院参禅会発足50周年記念行事の第一弾です。50年前にここで細々と参禅会を始め、昨年が50周年でしたが、コロナ禍で一年先延ばしになりました。
これまでに50名の方が得度を受けておられますが、今回、あらたに11名の方が得度を受けられ、再得度者は10名です。大本山のお授戒では、毎年参加してお血脈を頂く人もいます。行事を行うには、いろいろの方にお骨折りをお掛けしていますので、皆様には宗教的な感激を懐いていただき、今後の生活を素晴らしいものにしていただきたいと思います。
以上がご老師のご挨拶でした。
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12時15分から閉会式が始まりました。閉会式では小畑代表幹事から次のような謝辞がありました。
ご老師、有難うございました。お陰様で無事円成いたしました。法弟の皆様も長時間お務め下さいました。25周年の時にご講演いただきました奈良康明先生が、『説戒:永平寺西堂老師が語る仏教徒の心得』を上梓されました。そのご本の中で、戒というものを俗と聖に分けると、どのような関係になるかが述べられています。
俗というのは飽くなき自由への探求であり、欲望への探求である。戒とは飽くなき欲望への探求からの解放であると述べられています。
ご老師が言われたように、我々が守れない戒がいっぱいありますが、しかし、今ここでどうすべきかという時に働きかけて来るものだと思います。
以上が小畑代表幹事からの謝辞の内容です。
次に法弟代表として吉澤誠さんから次のような謝辞がありました。
本日は絡子を掛けていただき身の引き締まる思いがいたします。これからはご老師のお示しになられたように、良き生活習慣を守り精進してまいりたいと思います。また参禅会の活動にも積極的にかかわって行きたいと思います。
以上が吉澤さんの謝辞でした。
釈迦牟尼佛言、是諸比丘比丘尼、自謂已得阿羅漢、是最後身、究竟涅槃便不復志求阿耨多羅三藐三菩提。當知此輩皆是増上慢人。所以者何、若有比丘實得阿羅漢、若不信此法、無有是処。
いはゆる阿耨多羅三藐三菩提を、能信するを、阿羅漢と證す。必信此法は、付属此法なり、単傳此法なり、修證此法なり。實得阿羅漢は、是最後身究竟涅槃にあらす、阿耨多羅三藐三菩提を志求するかゆゑに。志求阿耨多羅三藐三菩提は弄眼睛なり、壁面打坐なり面壁開眼なり。徧界なりといへとも、神出鬼没なり。亘時なりといへとも互換投機なり。かくのことくなるを志求阿耨多羅三藐三菩提といふ。このゆゑに志求阿羅漢なり。志求阿羅漢は、粥足飯足なり。
夾山圜悟禅師曰、古人得旨之後、向深山茆茨石室、折脚鐺子煮飯喫十年二十年、大忘人世、永謝塵寰。今時不敢望如此、但只韜名晦迹守本分、作箇骨律錐老納、以自契所證、隨己力量受用。消遣舊業、融通宿習、或有餘力、推以及人、結般若縁、練磨自己脚跟純熟。譬如荒草裏撥剔一箇半箇。同知有、共脱生死、轉益未来、以報佛祖深恩。抑不得已、霜露果熟、推将出世、應縁順適、開托人天、終不操心於有求。何況依倚貴勢、作流俗阿師、挙止欺凡罔聖、苟利圖名、作無間業。縦無相縁、只恁度世、亦無業果、眞出塵羅漢耶。
しかあれはすなはち而今の本色の納僧、これ眞出塵阿羅漢なり。阿羅漢の性相をしらんことは、かくのことくしるへし。西天の論師等のことはを妄計することなかれ。東地の圜悟禅師は正傳の嫡嗣ある佛祖なり。