新緑もゆる6月の朔日、午前中は毎月恒例の自由参禅を行い、午後からは年に一度の一日攝心を実施しました。まさにこの日、当院にとっては坐禅三昧の一日となりました。午前中はあいにくの空模様で気温も低く肌寒く感じられましたが、午後からは日差しが差し込み春らしい陽気が回復し、好坐禅の日となりました。
一日攝心は、一炷目の坐禅を午後12時40分から開始し、じ後計四炷の坐禅を行いました。参加者の中には、午前中の自由参禅から参加している猛者も複数名見られ、一日攝心のみの参加者も含めて、おのおの至福のひと時を過ごし、身心を整えられたことと思います。
坐禅後は、『月舟和尚夜話』をテキストに、方丈による講義が小一時間行われました。その中で方丈は、『夜話』の中にある「初発心の時が一番肝要だ」という言葉を引き合いに出し、その気持ちを持続させることが重要だと話されました。何故なら、初めて決心した時の気持ちが最も強固であり熱量も大きい、将棋で喩えるなら対戦を前にした初期配置の布陣が一番強固なのと似ている。でも勝つためには、それを崩しながらも一手づつ前に進まなければならない、修行もそれと同じであると述べられました。人間一つの物事に取り組み続けると、経験値が上がり、やがてそこから「慣れ」が生じてきます。その慣れから来る心の油断が「初発心」の思いをどんどんと削り取っていくのだとし、普段から隙を作らず、人生の節目節目に己の「初発心」を省み、熱量を衰えさせないことが大切であると述べて講義を締めくくられました。
雨脚は去ったものの、前日からのぐずついた天気により、いまだパッとしない空模様のこの日、5月の月例坐禅会が行われました。
坐禅堂に入って心を落ち着かせると、本日はホトトギスの声が繰り返し聴こえてきます。「キョッ・キョッ・キョ・キョ・キョ・キョ」と繰り返し鳴くホトトギスの声は、日本では夏の訪れを告げるもの、あるいは農作業の開始を告げるものとして、古来より親しまれてきました。よってこの故事が念頭にあるせいか、坐禅堂で聴いたホトトギスの第一声が、「坐禅の開始を告げる鳴らし物」のように聴こえたのは私だけではないかもしれません。
坐禅後は、本日で5回目となる『禮拜得髄』の巻の講義が行われました。今日のメインとなる話しは、「妙信尼さんと十七人の僧侶」のエピソードの回になります。今回の講義で方丈は、妙信尼さんの話しを踏まえ、人材を登用する際の「多様性を受け入れること」の重要性を話され、やがてそれがイノベーションを起こし、持続可能な社会をつくる原動力になるのだ、ということを述べられました。
講義後は、常の如く茶話会を行い、無事散会という運びとなりました。
いはく、法をおもくするは、たとひ露柱なりとも、たとひ燈籠なりとも、たとひ諸佛なりとも、たとひ野干なりとも、鬼神なりとも、男女なりとも、大法を保任し、吾髄を汝得せるあらば、身心を牀座にして、無量劫にも奉事するなり。身心はうることやすし、世界に稲麻竹葦のごとし、法はあふことまれなり。
釈迦牟尼仏のいはく、無上菩提を演説する師にあはんには、種姓を觀ずることなかれ、容顔をみることなかれ、非をきらふことなかれ、行をかんがふることなかれ。ただ般若を尊重するがゆゑに、日日に百千兩の金を食せしむべし。天食をおくりて供養すべし、天華を散じて供養すべし。日日三時に禮拜し恭敬して、さらに患腦の心を生ぜしむることなかれ。かくのごとくすれば、菩提の道、かならずところあり。われ發心よりこのかた、かくのごとく修行して、今日は阿耨多羅三藐三菩提をえたるなり。
しかあれば、若樹若石もとかましとねがひ、若田若里もとかましともとむべし。露柱に問取し、牆壁をしても參究すべし。むかし、野干を師として禮拜問法する天帝釋あり、大菩薩の稱つたはれり、依業の尊卑によらず。
ゴールデンウィーク最初の日曜日の4月27日、月例の坐禅会が行われました。
季節は春真っただ中、花の香は風に乗り野鳥をさそい、その鳥たちも親子でしょうか?カップルでしょうか?境内の木々に留まり美しい音色でさえずっています。そんな春の陽気に包まれた好坐禅のこの日、15名の方が当院坐禅堂において静寂のひと時を過ごしました。
坐禅の後は、講義となりますが、本日は『禮拜得髓』の巻の中にある「志閑禅師と末山尼さんとの掛け合いの場面」について講義になります。その場面の話について、明石方丈は、明恵上人の遺訓『阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)』と菊池寛さんの短編小説『形』を参考にされながら、講義を進められました。
講義後は、前日に四十九日納骨を執り行いました当院参禅会の前代表故小畑節朗様のお墓参りを、方丈と旧来からの会員でさせていただきました。
じ後は、お寺の裏山の竹林にて、毎年恒例のタケノコ堀りを行い、皆さんそれぞれの成果を手にして、笑顔にてお寺を後にしました。
修行阿耨多羅三藐三菩提の時節には、導師をうることもともかたし。その導師は、男女等の相にあらず、大丈夫なるべし、恁麼人なるべし。古今人にあらず、野狐精にして善知識ならん。これ得髄の面目なり、導利なるべし。不昧因果なり、儞我渠なるべし。
すでに導師を相逢せんよりこのかたは、萬縁をなげすてて、寸陰をすごさず精進辨道すべし。有心にても修行し、無心にても修行し、半心にても修行すべし。しかあれば、頭燃をはらひ、翹足を學すべし。かくのごとくすれば、訕謗の魔黨にをかされず、断臂得髄の祖、さらに佗にあらず、脱落身心の師、すでに自なりき。
髄をうること、法をつたふること、必定して至誠により、信心によるなり。誠心ほかよりきたるあとなく、内よりいづる方なし。ただまさに法をおもくし、身をかろくするなり。世をのがれ、道をすみかとするなり。いささかも身をかへりみること法よりもおもきには、法つたはれず、道うることなし。その法をおもくする志氣、ひとつにあらず、佗の教訓をまたずといへども、しばらく一二を擧挙すべし。
しかあるに不聞佛法の愚痴のたぐひおもはくは、われは大比丘なり、年少の得法を拝すべからず、われは久修練行なり、得法の晩學を拝すべからず、われは師號に署せり、師號なきを拝すべからず、われは法務司なり、得法の餘僧を拝すべからず、われは僧正司なり、得法の俗男俗女を拝すべからず、われは三賢十聖なり、得法せりとも、比丘尼等を禮拝すべからず、われは帝胤なり、得法なりとも臣家相門を拝すべからずといふ。かくのごとくの痴人、いたづらに父國をはなれて、佗國の道路に●(趻-今+令)跰するによりて、佛道を見聞せざるなり。
むかし唐朝趙州眞際大師、こころをおこして發足行脚せしちなみにいふ、たとひ七歳なりともわれよりも勝ならばわれかれにとふべし。たとひ百歳なりともわれよりも劣ならばわれかれををしふべし。七歳に問法せんとき、老漢禮拝すべきなり。奇夷の志炁なり、古佛の心術なり。得道得法の比丘尼出世せるとき、求法參學の比丘僧、その會に投じて禮拝問法するは、參學勝躅なり。たとへば渇に飲にあふがごとくなるべし。
令和7年2月15日(土)、午後2時から涅槃会の法要が行われました。本堂には須弥壇に向かって右側に、正徳5年(1715)制作の佛涅槃図が掛けられていました。
明石方丈様を導師として一行が入堂し、拈香法語が読み上げられ、普同三拝の後、『般若心経』と『舎利礼文』を全員でお唱えいたしました。