『送り大師巡拝』に参加
去る五月一日から五日間、地元の伝統行事の一つである「東葛印旛大師巡拝(送り大師)」が行われました。今年の結願所は柏市大井の福満寺様で、新緑映える一日午前八時に当該地にて出発式が催されました。出発式では、柏市の太田市長臨席のもと、「曼荼羅旗」の開眼供養をはじめ読経を行い巡拝の無事を祈念いたしました。
この「東葛印旛大師巡拝」は、二百年以上前から続く行事であり、その範囲は柏市・松戸市・鎌ヶ谷市・白井市にまたがり、日本各地にみられる類似行事の中では最大規模ともいわれています。龍泉院では三年前の令和四年が結願所でしたが、コロナ禍のため、最小限の人数で車両を使用しての巡拝となり、その方式がしばらく続くことになりました。しかしながら本年は、六年ぶりの徒歩による巡拝ということで、約八十名の篤信の方々が参加されました。住職(明石方丈)も一日だけですが、巡礼の姿に身を整え、同行二人の報恩感謝の徒歩行を努めさせていただきました。
龍泉院へは一日午後一時半頃に到着し、境内にある三十三番札所と本堂にてそれぞれ般若心経一巻をお唱えしていただきました。
ゴールデンウィーク最初の日曜日の4月27日、月例の坐禅会が行われました。
季節は春真っただ中、花の香は風に乗り野鳥をさそい、その鳥たちも親子でしょうか?カップルでしょうか?境内の木々に留まり美しい音色でさえずっています。そんな春の陽気に包まれた好坐禅のこの日、15名の方が当院坐禅堂において静寂のひと時を過ごしました。
坐禅の後は、講義となりますが、本日は『禮拜得髓』の巻の中にある「志閑禅師と末山尼さんとの掛け合いの場面」について講義になります。その場面の話について、明石方丈は、明恵上人の遺訓『阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)』と菊池寛さんの短編小説『形』を参考にされながら、講義を進められました。
講義後は、前日に四十九日納骨を執り行いました当院参禅会の前代表故小畑節朗様のお墓参りを、方丈と旧来からの会員でさせていただきました。
じ後は、お寺の裏山の竹林にて、毎年恒例のタケノコ堀りを行い、皆さんそれぞれの成果を手にして、笑顔にてお寺を後にしました。
修行阿耨多羅三藐三菩提の時節には、導師をうることもともかたし。その導師は、男女等の相にあらず、大丈夫なるべし、恁麼人なるべし。古今人にあらず、野狐精にして善知識ならん。これ得髄の面目なり、導利なるべし。不昧因果なり、儞我渠なるべし。
すでに導師を相逢せんよりこのかたは、萬縁をなげすてて、寸陰をすごさず精進辨道すべし。有心にても修行し、無心にても修行し、半心にても修行すべし。しかあれば、頭燃をはらひ、翹足を學すべし。かくのごとくすれば、訕謗の魔黨にをかされず、断臂得髄の祖、さらに佗にあらず、脱落身心の師、すでに自なりき。
髄をうること、法をつたふること、必定して至誠により、信心によるなり。誠心ほかよりきたるあとなく、内よりいづる方なし。ただまさに法をおもくし、身をかろくするなり。世をのがれ、道をすみかとするなり。いささかも身をかへりみること法よりもおもきには、法つたはれず、道うることなし。その法をおもくする志氣、ひとつにあらず、佗の教訓をまたずといへども、しばらく一二を擧挙すべし。
しかあるに不聞佛法の愚痴のたぐひおもはくは、われは大比丘なり、年少の得法を拝すべからず、われは久修練行なり、得法の晩學を拝すべからず、われは師號に署せり、師號なきを拝すべからず、われは法務司なり、得法の餘僧を拝すべからず、われは僧正司なり、得法の俗男俗女を拝すべからず、われは三賢十聖なり、得法せりとも、比丘尼等を禮拝すべからず、われは帝胤なり、得法なりとも臣家相門を拝すべからずといふ。かくのごとくの痴人、いたづらに父國をはなれて、佗國の道路に●(趻-今+令)跰するによりて、佛道を見聞せざるなり。
むかし唐朝趙州眞際大師、こころをおこして發足行脚せしちなみにいふ、たとひ七歳なりともわれよりも勝ならばわれかれにとふべし。たとひ百歳なりともわれよりも劣ならばわれかれををしふべし。七歳に問法せんとき、老漢禮拝すべきなり。奇夷の志炁なり、古佛の心術なり。得道得法の比丘尼出世せるとき、求法參學の比丘僧、その會に投じて禮拝問法するは、參學勝躅なり。たとへば渇に飲にあふがごとくなるべし。
令和7年2月15日(土)、午後2時から涅槃会の法要が行われました。本堂には須弥壇に向かって右側に、正徳5年(1715)制作の佛涅槃図が掛けられていました。
明石方丈様を導師として一行が入堂し、拈香法語が読み上げられ、普同三拝の後、『般若心経』と『舎利礼文』を全員でお唱えいたしました。
いはく、法をおもくするは、たとひ露柱なりとも、たとひ燈籠なりとも、たとひ諸佛なりとも、たとひ野干なりとも、鬼神なりとも、男女なりとも、大法を保任し、吾髄を汝得せるあらば、身心を牀座にして、無量劫にも奉事するなり。身心はうることやすし、世界に稲麻竹葦のごとし、法はあふことまれなり。
釈迦牟尼仏のいはく、無上菩提を演説する師にあはんには、種姓を觀ずることなかれ、容顔をみることなかれ、非をきらふことなかれ、行をかんがふることなかれ。ただ般若を尊重するがゆゑに、日日に百千兩の金を食せしむべし。天食をおくりて供養すべし、天華を散じて供養すべし。日日三時に禮拜し恭敬して、さらに患腦の心を生ぜしむることなかれ。かくのごとくすれば、菩提の道、かならずところあり。われ發心よりこのかた、かくのごとく修行して、今日は阿耨多羅三藐三菩提をえたるなり。
しかあれば、若樹若石もとかましとねがひ、若田若里もとかましともとむべし。露柱に問取し、牆壁をしても參究すべし。むかし、野干を師として禮拜問法する天帝釋あり、大菩薩の稱つたはれり、依業の尊卑によらず。
12月15日(日)、今年も恒例の歳末助け合い募金活動を実施いたしました。
当日は、まことに穏やかな絶好の托鉢日和の快晴となり、午後0時30分に長全寺様に集合。参加者は明石方丈様の他、杉浦さん、五十嵐、河本さん、斉藤さん、吉澤さんの計6名でした。
長全寺の本堂前にて般若心経をお唱えした後、同寺山門から二列縦隊にて柏駅東口コンコース上へと移動、午後