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参禅会だより

令和5年11月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(10)

IMG 3407JPG 1また、心も肉も、懈怠にもあり、不信にもあらんには、誠心をもはらして前佛に懺悔すべし。恁麼するとき前佛懺悔の功德力、われをすくひて清淨ならしむ。この功德よく無礙の淨信・精進を生長せしむるなり。淨信一現するとき、自他おなじく轉ぜらるるなり。その利益あまねく情・非情にかうぶらしむ。その大旨は、ねがはくはわれたとひ過去の惡業おほくかさなりて、障道の因緣ありとも、佛道によりて得道せりし、諸佛諸祖われをあはれみて、業累を解脫せしめ、學道さはりなからしめ、その功德法門あまねく無盡法界に充滿彌綸せらん、あはれみをわれに分布すべし。佛祖の往昔は吾等なり、吾等が當來は佛祖ならん。佛祖を仰觀すれば一佛祖なり、發心を觀想するにも一發心なるべし。あはれみを七通八達せんに、得便宜なり、落便宜なり。
 このゆゑに龍牙のいはく、昔生未了今須了、此生度取累生身。古佛未悟同今者、悟了今人卽古人。《昔生に未だ了ぜずは今須らく了ずべし、此生に累生身を度取す。古佛も未悟なれば今者に同じ、悟了せば今人卽ち古人なり》しづかにこの因緣を參究すべし、これ證佛の承當なり。
かくのごとく懺悔すれば、かならず佛祖の冥助あるなり。心念身儀發露白佛すべし、發露のちから、罪根をして銷殞せしむるなり。これ一色の正修行なり、正信心なり、正信身なり。正修行のとき、谿聲谿色、山色山聲、ともに八萬四千偈ををしまざるなり。自己もし名利身心を不借すれば、谿山また恁麼の不惜あり。たとひ谿聲山色八萬四千偈を現成せしめ、現成せしめざることは、夜來なりとも谿山の谿山を擧似する盡力未便ならんは、たれかなんぢを谿聲山色と見聞せん。

正法眼蔵 谿聲山色
爾時延應庚子結制後五日在觀音導利興聖寶林寺示衆

令和5年10月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(9)

IMG 3410JPG 1おほよそ初心の情量は、佛道をはからふことあたはず、測量すといへども、あたらざるなり。初心に測量せずといへども、究竟に究盡なきにあらず、徹地の堂奧は、初心の淺識にあらず、ただまさに先聖の道をふまんことを行履すべし。このとき、尋師訪道するに、梯山航海あるなり。導師をたづね、知識をねがふには、從天降下なり、從地涌出なり。その接渠のところに、有情に道取せしめ、無情に道取せしむるに、身處にきき、心處にきく。若將耳聽は家常の茶飯なりといへども、眼處聞聲これ何必不必なり。見佛にも、自佛佗佛をもみ、大佛小佛をみる。大佛にもおどろきおそれざれ、小佛にもあやしみわづらはざれ。いはゆる大佛小佛を、しばらく山色谿聲と認ずるものなり。これに廣長舌あり、八萬偈あり、擧似逈脱なり、見徹獨抜なり。このゆゑに、俗いはく、彌高彌堅なり、先佛いはく、彌天彌綸なり。春松の操あり、秋菊の秀ある、卽是なるのみなり。
善知識、この田地にいたらんとき、人天の大師なるべし。いまだこの田地にいたらず、みだりに爲人の儀を存せん、人天の大賊なり。春松しらず、秋菊みざらん。なにの艸料かあらん、いかが根源を截斷せん。

令和5年7月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(6)

IMG 3365JPG 1またこの日本國は海外の遠方なり。人のこころ至愚なり。むかしよりいまだ聖󠄁人うまれず、生知うまれず、いはんや學道の實士まれなり。道心をしらざるともがらに、道心ををしふるときは、忠言の逆耳するによりて、自己をかへりみず、他人をうらむ。
おほよそ菩提心の行願には、菩提心の發未發、行道不行道を世人にしられんことをおもはざるべし、しられざらんといとなむべし、いはんやみづから口稱󠄁せんや。いまの人は、實をもとむることまれなりによりて身に行なく、こころにさとりなくとも、他人のほむることありて、行解相應せりといはん人をもとむるがごとし。迷中又迷、すなはちこれなり。この邪念すみやかに抛捨すべし。
學道のとき、見聞することかたきは、正法の心術なり。その心術は、佛佛相傳しきたれるものなり。これを佛光明とも、佛心とも相傳するなり。如來在世より今日にいたるまで、名利をもとむるを學道の用心とするににたるともがらおほかり。しかありしも、正師のをしえにあひて、ひるがへして正法をもとむれば、おのづから得道す。いま學道には、かくのごとくのやまふのあらんとしるべきなり。たとへば、初心始學にもあれ、久修練行にもあれ、傳道授業の機をうることもあり、機をえざることもあり、慕古してならふ機あるべし、訕謗してならはざる魔󠄁もあらん。兩頭ともに愛すべからず、うらむべからず。いかにしてかうれへなからん、うらみざら

令和5年9月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(8)

IMG 2036JPG 1また、西天の祖師、おほく外道・二乘・國王等のためにやぶられたるを。これ外道のすぐれたるにあらず、祖師に遠慮なきにあらず。初祖西来よりのち、嵩山に掛錫するに、粱武もしらず、魏主もしらず。ときに両箇のいぬあり、いはゆる、菩提流支三藏と光統律師となり。虛名邪利の、正人にふさがれんことをおそりて、あふぎて天日をくらまさんと擬するがごとくなりき。在世の達多よりも、なほはなはだし。あはれむべし、なんぢが深愛する名利は、祖師これを糞穢よりもいとふなり。かくのごとくの道理、佛法の力量の、究竟せざるにはあらず、良人をほゆるいぬありとしるべし。ほゆるいぬを、わづらふことなかれ、うらむることなかれ。引導の發願すべし、汝是畜生、發菩提心、と施設すべし。先哲いはく、これはこれ人面の畜生なり。また、歸依供養する魔類もあるべきなり。前佛いはく、不親近國王・王子・大臣・官長・婆羅門・居士。まことに佛道を學習せん人、わすれざるべき行儀なり。菩薩初學の功徳、すすむにしたがふてかさなるべし。
またむかしより、天帝きたりて行者の志氣を試験し、あるひは魔波旬きたりて行者の修道をさまたぐることあり。これみな、名利の志氣はなれざるとき、この事ありき。大慈大悲のふかく、廣度衆生の願の老大なるには、これらの障礙あらざるなり。修行の力量おのづから國土をうることあり、世運の達せるに相似せることあり。かくのごとくの時節、さらにかれを辨肯すべきなり、かれに瞌睡することなかれ。愚人これをよろこぶ、たとへば癡犬の、枯骨をねぶるがごとし。賢聖これをいとふ、たとへば世人の、糞穢をおづるににたり。

令和5年6月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(5)

IMG 3340JPG 1しるべし、山色谿声にあらざれば、拈華も開演せず、得髄も依位せざるべし。谿声山色の功徳によりて、大地有情同時成道し、見明星悟道する諸佛あるなり。かくのごとくなる皮袋、これ求法の志氣甚深なりし先哲なり。その先蹤、いまの人かならず參取すべし。いまも名利にかかはらざらん真実の參學は、かくのごときの志氣をたつべきなり。遠方の近來は、まことに佛法を求覓する人まれなり。なきにはあらず難遇なるなり。たまたま出家兒となり離俗せるににたるも、佛道をもて名利のかけはしとするのみおほし。あはれむべしかなしむべし、この光陰ををしまず、むなしく黒暗業に賣買すること。いづれのときかこれ出離得道の期ならん。たとひ正師にあふとも、眞龍を愛せざらん。かくのごとくのたぐひ、先佛これを可憐憫者といふ。その先世に悪因あるによりてしかあるなり。生をうくるに爲法求法のこころざしなきによりて、眞法をみるとき眞龍をあやしみ、正法にあふとき正法にいとはるるなり。この身心骨肉、かつて從法而生ならざるによりて、法と不相應なり、法と不受用なり。祖宗師資かくのごとく相承してひさしくなりぬ。菩提心は、むかしのゆめをとくがごとし。あはれむべし、寶山にうまれながら寶財をしらず、寶財をみず、いはんや法財をえんや。もし菩提心をおこしてのち、六趣四生に輪轉すといへども、その輪轉の因縁、みな菩提の行願となるなり。しかあれば、從來の光陰はたとひむなしくすごすといふとも、今生のいまだすぎざるあひだに、いそぎて発願すべし。

ねがはくはわれと一切衆生と、今生より乃至生生をつくして、正法をきくことあらん。きくことあらんとき、正法を疑著せじ、不信なるべからず。まさに正法にあはんとき、世法をすてて佛法を受持せん、つひに大地有情ともに成道することをえん。

令和5年8月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(7)

いはんやはじめて佛道を欣求せしときのこころざしをわすれざるべし。いはく、はじめて發心するときは、他人のために法をもとめず、名利をなげすてきたる。名利をもとむるにあらず、ただひとすぢに得道をこころざす。かつて國王大臣の恭敬供養をまつこと、期せざるものなり。しかあるにいまかくのごとくの因縁あり、本期にあらず、所求にあらず。人天の繋縛にかかはらんことを期せざるところなり。しかあるをおろかなる人は、たとひ道心ありといへども、はやく本志をわすれて、あやまりて人天の供養をまちて、佛法の功徳いたれりとよろこぶ。國王大臣の歸依しきりなれば、わがみちの現成とおもへり。これは學道の一魔なり、あはれむこころをわするべからずといふとも、よろこぶことなかるべし。
みずや、ほとけののたまはく、如来現在、猶多怨嫉の金言あることを。愚の賢をしらず、小畜の大聖をあたむこと理かくのごとし。

令和5年5月報告

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今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(4)

IMG 3333JPG 1また霊雲志勤禅師は、三十年の辨道なり。あるとき遊山するに、山脚に休息して、はるかに人里を望見す。ときに春なり。桃華のさかりなるをみて、忽然として悟道す。偈をつくりて大潙に呈するにいはく、
三十年来尋剣客、幾回葉落又抽枝。
自從一見桃華後、直至如今更不疑。
《三十年来剣客を尋ぬ、幾回か葉落ち又枝を抽んづる。
一たび桃花を見てより後、直に如今に至るまで更に疑はず》
大潙いはく、従縁入者、永不退失。《縁より入る者は、永く退失せじ》
すなはち許可するなり。いづれの入者か従縁せざらん、いづれの入者か退失あらん。ひとり勤をいふにあらず。つひに大潙に嗣法す。山色の清浄身にあらざらん、いかでか恁麼ならん。
長沙岑禅師にある僧とふ、いかにしてか山河大地を転じて自己に帰せしめん。
師いはく、いかにしてか自己を転じて山河大地に帰せしめん。
いまの道取は、自己のおのづから自己にてある、自己たとひ山河大地といふとも、さらに所帰に罣(けい)礙(げ)すべきにあらず。

瑯瑘の広照大師慧覚和尚は、南岳の遠孫なり。あるとき、教家の講師子璿とふ、清浄本然、云何忽生山河大地。かくのごとくとふに、和尚しめすにいはく、清浄本然、云何忽生山河大地。
ここにしりぬ、清浄本然なる山河大地を、山河大地とあやまるべきにあらず。

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