今年の施食会は非常に強い台風7号来襲のニュースを受け、本堂の設営は急遽前日の午後3時から行うことになりました。急な準備作業変更のため設営に集まることができたのは5名でした。
設営人数が少ないこともあり、五色幕張りは止めることにし、柱の水引柱巻と横断幕だけを付けることに致しました。
また施餓鬼棚を須弥壇脇の納戸から出して所定の位置にセッティングし、四方に竹の笹と四天王幡を括り付け、施餓鬼棚の後方に五如来幡を掛けました。さらに来場者用の椅子を40席セッティングしました。2時間ほどで前日の準備作業は終了しました。
当日は台風が房総半島に接近し、朝から小雨混じりの空模様となり、前日までの猛暑は一服しました。午前10時に施食会をお手伝いするメンバーは集合し、担当を割り振りしてから早めの昼食をいただき、それぞれ持ち場につきました。
12時頃から時々強風が吹き、叩きつけるような雨が降ることもありましたが、心配したほどの台風による影響は少ないようで、午後1時から新盆の方々が次々とお見えになりました。午後2時から明石方丈様を導師として入堂され、6名のご随喜の僧侶の方々と共に施食会が始まりました。エアコンが効き小雨が降っているので、本堂の中は少し寒いくらいです。
『大悲心陀羅尼』などのお経が読まれた後、新盆を迎えられた方々のお名前が読み上げられ、『修証義』が唱えられる中、新盆関係者のお焼香が行われました。
また『大悲心陀羅尼』などのお経が読まれた後、『修証義』が唱えられ、今度は龍泉院の役員や参禅会員が焼香しました。
午後3時に施食会は終わり、新盆の方には卒塔婆とお土産をお渡しました。新盆以外の方の卒塔婆は例年は本堂から外に出して並べていましたが、台風のため本堂の中に並べることになりました。
卒塔婆を受け取りに来られた方々は、本堂に入り自分の卒塔婆を探してから、墓地の方に向かわれました。我々も施餓鬼棚や幡や椅子などを片付け、小畑節朗様からの添菜をいただいて、午後4時には龍泉院を後にしました。
今月の定例参禅会には4名の新しい方が参加されました。龍泉院参禅会のことは4名とも龍泉院のHPで知ったとのことでした。
講義が終わり幹事などからのお知らせの時に、小畑元代表より角川ソフィア文庫『道元「赴粥飯法」』を参加者全員に配られました。
本書は当参禅会主催の「洞山良价禅師1150回大遠忌」の際、ご講演を賜りました駒澤大学名誉教授石井修道先生の監修で、執筆陣は曹洞宗総合研究センターの客員研究員である清野宏道さんをはじめ研究員5名の方々です。
禅の悟りは日常の生活の中に見出すもので、「食」は大事な修行の場です。『赴粥飯法』は曹洞宗僧侶の基本的な行動規範であり、道元禅師の「食」に対する教えが説かれた書です。
本書は食事作法について極めて詳細に記されています。さらに食事に当たっては、食事にたずさわってきた多くの人々への感謝を示すことも説かれています。また自分を満たすだけではなく、食べ物に困っている人へも想いを向け、心穏やかに生きて行くヒントが説かれています。
『典座教訓』の姉妹編ともいうべき『赴粥飯法』は、今まで目を通したことがありませんが、本書を熟読することにより、道元禅師の「食」に対する教えを学びとって行きたいと思っています。また、本書を賜ってくださった小畑元代表には、心より感謝申し上げる次第です。
なお、今月の定例参禅会は都合により『正法眼蔵』のご提唱はお休みとなりました。
發菩提心の正當恁麼時には、法界ことことく發菩提心なり。依を轉するに相似なりといへとも、依にしらるるにあらす。共出一隻手なり、自出一隻手なり、異類中行なり。地獄、餓鬼、畜生、修羅等のなかにしても發菩提心するなり。
赤心片片といふは、片片なるはみな赤心なり。一片兩片にあらす、片片なるなり。荷葉團團團似鏡、裏角尖尖尖似錐。かかみににたりといふとも片片なり、錐ににたりといふとも片片なり。
古佛心といふは、むかし僧ありて大證国師にとふ、いかにあらんかこれ古佛心。ときに国師いはく、牆壁瓦礫。
しかあれはしるへし、古佛心は、牆壁瓦礫にあらす、牆壁瓦礫を古佛心といふにあらす。古佛心、それかくのことく學するなり。
平常心といふは、此界他界といはす、平常心なり。昔日はこのところよりさり、今日はこのところよりきたる。さるときは漫天さり、きたるときは盡地きたる、これ平常心なり。平常心この屋裡に開閉す、千門萬戸、一時開閉なるゆゑに平常なり。いまこの蓋天蓋地は、おほえさることはのことし、噴地の一聲のことし。語等なり、心等なり、法等なり。壽行生滅の刹那に生滅するあれとも、最後身よりさきはかつてしらす。しらされとも、發心すれはかならす菩提の道にすすむなり。すてにこのところあり、さらにあやしむへきにあらす。すてにあやしむことあり、すなはち平常なり。
身學道といふは、身にて學道するなり、赤肉團の學道なり。身は學道よりきたり、學道よりきたれるは、ともに身なり。盡十方界、是箇眞實人體なり、生死去来、眞實人體なり。この身體をめくらして、十悪をはなれ八戒をたもち、三寶に帰依して、捨家出家する、眞實の學道なり。このゆゑに眞實人體といふ。後學かならす自然見の外道に同することなかれ。
百丈大智禅師のいはく、若執本清淨本解脱自是佛、自是禅道解者、即属自然外道。
これら閑家の破具にあらす、學道の積功累徳なり。𨁝跳して玲瓏八面なり、脱落して如藤倚樹なり。或現此身得度而為説法なり、或現他身得度而為説法なり、或不現此身得度而為説法なり、或不現他身得度而為説法なり、乃至不為説法なり。
しかあるに棄身するところに揚声止響することあり、捨命するところに斷腸得髄することあり。
學道は恁麼なるかゆゑに、牆壁瓦礫これ心なり。さらに三界唯心にあらす、法界唯心にあらす、牆壁瓦礫なり。感通年前につくり、感通年後にやふる、拕泥滞水なり、無縄自縛なり。玉をひくちからあり、水にいる能あり。とくる日あり、くたくる時あり、極微にきはまるときあり。露柱と同参せす、燈篭と交肩せす、かくのことくなるゆゑに、赤脚走して學道するなり、たれか著眼看せん。翻巾斗して學道するなり、おのおの随他去あり。このとき、壁落これ十方を學せしむ、無門これ四面を學せしむ。
發菩提心は、あるひは生死にしてこれをうることあり、あるひは涅槃にしてこれをうることあり、あるひは生死涅槃のほかにしてこれをうることあり。ところをまつにあらされとも、發心の、ところにさへられさるあり。境發にあらす、智發にあらす、菩提心發なり、發菩提心なり。發菩提心は、有にあらす無にあらす、善にあらす惡にあらす、無記にあらす、報地によりて縁起するにあらす。天有情はさためてうへからさるにあらす。たたまさに時節とともに發菩提心するなり、依にかかはれさるかゆゑに。
6月2日(日)に一日接心が行われました。参加者は明石方丈様と参禅会員12名の計13名でした。
当日は、朝から不安定な天気でありましたが、何とか持ちこたえている状況です。
8時に参加者全員が集合し、今年も昨年度同様、坐禅は全部で四炷、四炷目の前には行茶も行います。
接心中の講義は、明石方丈様が自らの半生を語っていただけるとのことです。
また例年二回に分けていた読んでいた『普勧坐禅儀』を、四炷目の時に全部を通して読むこととなりました。
寶地もあるへし。萬般なりといふとも地なかるへからす、空を地とせる世界もあるへきなり。日月星辰は、人天の所見不同あるへし、諸類の所見おなしからす。恁麼なるかゆゑに、一心の所見、これ一齊なるなり。これらすてに心なり。内なりとやせん外なりとやせん、来なりとやせん去なりとやせん。生時は一點を増するか、増せさるか。死には一塵をさるか、さらさるか。この生死、およひ生死の見、いつれのところにかおかんとする。向来はたたこれ心の一念二念なり。一念二念は、一山河大地なり、二山河大地なり。山河大地等、これ有無にあらされは、大小にあらす、得不得にあらす、識不識にあらす、通不通にあらす、悟不悟に變せす。
かくのことくの心、みつから學道することを慣習するを、心學道といふと決定信受すへし。この信受、それ大小有無にあらす。いまの知家非家捨家出家の學道、それ大小の量にあらす、遠近の量にあらす。鼻祖鼻末にあまる、向上向下にあまる。展事あり七尺八尺なり。投機あり爲自爲他なり。恁麼なるすなはち學道なり。