今月の提唱
『正法眼藏』「徧參」の巻(3)
倶胝参天龍得一指頭は、遍参なり、倶胝唯竪一指は、遍参なり。
玄沙示衆云、我与釈迦老子同参。
時有僧出問、未審、参見甚麼人。
師云、釣魚船上謝三郎。
釈迦老子参底の頭正尾正、おのづから釈迦老子と同参なり。玄沙老漢参底の頭正尾正、おのづから玄沙老漢と同参なるがゆえに、釈迦老子と玄沙老漢と同参なり。釈迦老子と玄沙老漢と、参足・参不足を究竟するを、遍参の道理とす。釈迦老子は玄沙老漢と同参するゆえに古仏なり、玄沙老漢は釈迦老子と同参なるゆえに児孫なり。この道理、審細に遍参すべし。
釣魚船上謝三郎、この宗旨、あきらめ参学すべし。いはゆる釈迦老子と玄沙老漢と、同時同参の時節を遍参功夫するなり。釣魚船上謝三郎を参見する玄沙老漢ありて同参す、玄沙山上禿頭漢を参見する謝三郎ありて同参す。同参・不同参、みづから功夫せしめ、他づから功夫ならしむべし。玄沙老漢と釈迦老子と同参す、遍参す。謝三郎と与我と参見甚麼人の道理を、遍参すべし、同参すべし。いまだ遍参の道理現在前せざれば、参自不得なり、参自不足なり、参他不得なり、参他不足なり、参人不得なり、参我不得なり、参拳頭不得なり、参眼睛不得なり、自釣自上不得なり、未釣先上不得なり。
すでに遍参究尽なるには、脱落遍参なり。海枯不見底なり、人死不留心なり。海枯といふは、全海全枯なり。しかあれども、海もし枯竭しぬれば、不見底なり。不留全留、ともに人心なり。人死のとき、心不留なり。死を拈来せるがゆえに、心不留なり。このゆえに、全人
は心なり、全心は人なりとしりぬべし。かくのごとくの一方の表裏を参究するなり。
今月の所感
先月の「徧參」の巻のご提唱では、百千万人の善知識を訪ねて教えを請うことが徧參ではなく、百千万の個々の内、これと究めた一つに徹し切ることが徧參であると道元禅師は拈提されていました。その徹し切った例として倶胝和尚の竪一指が取りあげられています。
『景徳傳燈録』巻11の倶胝和尚の章によれば、倶胝和尚が庵に住していた時、實際という尼僧さんが訪れて来て、「道得ならば即ち笠子を拈下せん」と三度問うも、倶胝和尚は一言も発することができなかった。そこで尼僧さんは庵から去ろうとした時、「日も暮れて来たので、一晩泊っていかれなさい」と声をかけた。する尼僧さんは、「道得ならば即ち宿せん」と言った。この問にも倶胝さんは一言も発することができなかったので、尼僧さんは愛想を尽かして庵からサッサと去って行ったのである。
倶胝和尚は、「わしは立派な修行者のような恰好をしているが、立派な修行者としての気概を持っていない」と嘆いて、諸方徧參の行脚に出ようとしました。そこへ土地の神様が現れて、「この山を離れるべきではない。大菩薩が直きにこの山に来られて、和尚のために説法をしてくれます」と言ったのです。
果たして10日くらい経つと、天龍和尚が庵に来られたので、倶胝和尚は先の尼僧さんとの件を話しました。すると天龍和尚は指を一本グイッと立て、それを見た倶胝和尚は忽然と悟を開かれました。それからというもの、どのような僧が倶胝和尚に参学しよとも、唯一指を立てるだけであり、別に提唱などなかったのです。
倶胝和尚は死の間際に、「わしは天龍和尚の一指頭の禅を、一生用いても、用い尽くすことがなかった」と、大衆に告げられてから亡くなりました。道元禅師はこの倶胝和尚の得た唯竪一指こそ、徧參というものであると拈提されています。
次に玄沙師備が大衆に示された言葉が取りあげられています。
玄沙示衆云、我与釈迦老子同参。
時有僧出問、未審、参見甚麼人。
師云、釣魚船上謝三郎。
これは『聯燈會要』第23巻の福州玄沙師備禪師の章に見える言葉です。この玄沙の言葉をもって道元禅師は、徧參についてこれまでとは違う見解を打ち出しています。
道元禅師の拈提は次のようなものです。
まず玄沙の言った、「我与釈迦老子同参」とはどのようなことでしょうか。道元禅師は、釋迦老子に参ずることは、徹頭徹尾、自ずから釋迦老子と同門となることである。また、玄沙老漢に参ずることは、徹頭徹尾、自ずから玄沙老漢と同門となる、と述べられています。
釋迦老子が釋迦老子とは同門であるとは、即ちご自身を体験されたのです。また、玄沙老漢が玄沙老漢とは同門であるとは、即ちご自身を体験されたのです。釋迦老子は釋迦老子自身を体験し、玄沙老漢は玄沙老漢自身を体験したのだから、釋迦老子と玄沙老漢は同門ということが言えるのであると述べられています。
さらに、自分自身の体験を十分にされた境地と十分にはされていない境地と、その両方を徹底的に究め尽すことが徧參であると述べられています。
以上のことから、釋迦老子は玄沙老漢と同門で参じているから古仏と呼ばれ、玄沙老漢は釋迦老子の児孫と呼ばれるのである。このような道理を詳らかに検討する必要があると述べられています。
次に玄沙の言った、「釣魚船上謝三郎」についての拈提です。はじめに釋迦老子と玄沙老漢とが同時に同門であった時のことを思い廻らしてみると、「釣魚船上謝三郎」即ち出家以前の謝三郎を体験した玄沙老漢があり、「玄沙山上禿頭漢」即ち出家以後の玄沙を体験している謝三郎がいる。それが同じ体験であるか同じ体験でないか、自分でもよく考えを廻らしてみるがよく、「他の方」即ち仏の方でもよく考えを廻らしてみるがよい。
また、謝三郎も玄沙老漢も「参見甚麼人」、即ち謝三郎と玄沙老漢が言葉では表現できないどなたにお会いしたのか、その道理をくまなく考えてみるがよい。
それでもなお、自分の体を使って、体験として徧參の道理が判然としないようでは、自己に参ずる(自己自身の境地を体験する)ことも、自分以外の他己に参ずることも、人に参ずることも、我に参ずることもできない。拳頭に参ずることも、眼睛に参ずることも、自ら釣り自ら上がること、即ち自ら修行し自ら悟ることもできないし、ましてや、未だ釣らざるに先ず釣り上げることなど、とてもできないと述べられているのです。
以上、玄沙の言葉を拈提された上で、すでに徧參の道理を究め尽してみると、「脱落遍参なり」と述べられていいます。徧參を脱落した徧參、即ち徧參というものすら脱落し、すっかり新しい意味を持った徧參があると述べられています。
新しい意味の徧參とは、「海枯不見底なり」、「人死不留心なり」であるというのです。(なお、この言葉は道元禅師『永平広録』巻7に見えるお言葉です。「上堂に、記得す、僧雲門に問ふ、「如何なるか是れ仏」。雲門云く、「乾屎橛」。先師頌して曰く、「雲門倒屙一橛屎、悩乱瞿曇痛処針。要見海枯終徹底、始知人死不留心」。)
「海枯不見底なり」について、海が枯れるといえば、海全体が枯れてしまうことである。だからもし海が枯渇してしまうようなことがあれば、海水が無くなるのだから、海底というものは無くなってしまう。(海水があるから海底というものがある。)そのように、徧參しつくしたところには徧參というものはないことになる。
次に、「人死不留心なり」について、留めるも留めないも共に人の心である。人が死んだ時には、心もまた留まらないのである。人が死んだ場合、心だけがこの世の中に留まるということはあり得ない。このようなことから人というものは何かと言えば、心そのものであり、心というものが生身の体をもって動き回っているのが人であるということを知らなければならないと述べられています。
このような「人と心」、「釋迦老子と玄沙老漢」の関係が、同じ境地を体験していることを、裏表から究め尽すことが徧參であると、道元禅師は述べられているのだと観じた次第です。
「海枯不見底なり」、海が枯れてしまえば海底などない。徧參を尽くしてしまえば徧參はない。悟ってしまえば悟はない。これらは皆、同じ延長線上にあるんですね。
今月のお知らせ
今年は年番幹事が佐藤さん一人で、その代わり月番幹事をとして、1・2月は山桐さん、3・4月は小林さん、5・6月は齋藤さんが務められます。
また今月から坐禅堂の堂頭は、椎名東堂老師が退かれ、明石方丈様が務められるようになりました。従って、口宣は明石方丈様が述べられ、今後の坐禅堂における作法も明石方丈様の方針によることになります。
佐藤年番幹事からのお知らせ
・2月15日(水)午後2時から涅槃会を開催いたします。配役の方は午後1時までに集合してください。
・2月11日(土)午後1時から参禅会50周年実行委員会を開催いたします。
杉浦さんからのお知らせ
・参禅会員の久光守之様がご病気で昨年12月2日にご逝去されました。
小畑代表からのお知らせ
・昨年行われた龍泉院参禅会50周年の記念行事は、皆様方からのご支援により無事円成いたしました。感謝申し上げます。
・2月11日(土)に参禅会50周年実行委員会を開催し、今後の参禅会のあり方について検討いたします。ただし定例参禅会や自由参禅を続けて行くことには変わりありません。要は澤木興道老師が言われた、「自分が自分を自分する」ことだと思います。
明石方丈様からのお知らせ
・コロナ禍は今年で4年目に入り、社会も変化してきました。参禅会も社会の変化に応じて対応して行かなければならないと思います。
椎名東堂老師からのお知らせ
・昨年の龍泉院参禅会50周年は皆様方の綿密な計画と実行力で、つつがなく円成いたしましたことに感謝申し上げます。実施時期がコロナ感染が静まった10月であったのは、まさに仏天の御加護だと思います。
・今年から新しい体制に進みますが、澤木興道老師の『禅談』(大法輪閣)か酒井得元老師の『沢木興道聞き書き』(講談社学術文庫)のどちらかを、是非お読みになることをお勧めします。
五十嵐からのお知らせ
・令和4年の会計報告を致します。前年からの繰越金は420,404円、令和4年の収入は1,139,431円、支出は921,110円。従って収支は218,321円の黒字でした。収入は主に志納金を洞山良价禅師千百五十回遠忌でのお祝い金です。収支が黒字になったのは、50周年記念行事について、小畑代表が多大なご負担をいただいたお陰です。ここに感謝申し上げます。従って令和5年への繰越金は638,725円となりました。
今月の司会者 佐藤修平
今月の参加者 17名
来月の司会者 佐藤修平