今月の提唱
『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(4)
また霊雲志勤禅師は、三十年の辨道なり。あるとき遊山するに、山脚に休息して、はるかに人里を望見す。ときに春なり。桃華のさかりなるをみて、忽然として悟道す。偈をつくりて大潙に呈するにいはく、
三十年来尋剣客、幾回葉落又抽枝。
自從一見桃華後、直至如今更不疑。
《三十年来剣客を尋ぬ、幾回か葉落ち又枝を抽んづる。
一たび桃花を見てより後、直に如今に至るまで更に疑はず》
大潙いはく、従縁入者、永不退失。《縁より入る者は、永く退失せじ》
すなはち許可するなり。いづれの入者か従縁せざらん、いづれの入者か退失あらん。ひとり勤をいふにあらず。つひに大潙に嗣法す。山色の清浄身にあらざらん、いかでか恁麼ならん。
長沙岑禅師にある僧とふ、いかにしてか山河大地を転じて自己に帰せしめん。
師いはく、いかにしてか自己を転じて山河大地に帰せしめん。
いまの道取は、自己のおのづから自己にてある、自己たとひ山河大地といふとも、さらに所帰に罣(けい)礙(げ)すべきにあらず。
瑯瑘の広照大師慧覚和尚は、南岳の遠孫なり。あるとき、教家の講師子璿とふ、清浄本然、云何忽生山河大地。かくのごとくとふに、和尚しめすにいはく、清浄本然、云何忽生山河大地。
ここにしりぬ、清浄本然なる山河大地を、山河大地とあやまるべきにあらず。
今月の所感
今月の「谿聲山色」の巻のご提唱は、いずれも唐代の霊雲志勤禅師(生没年不詳)と長沙景岑禅師(生没年不詳)についてです。
霊雲志勤禅師は福州(福建省)長渓の人です。30年の辨道の後、桃華を見てふと悟ったお話です。霊雲志勤は師の潙山霊祐禅師に次のような悟道の内容を示した偈を呈します。
三十年来尋剣客、幾回葉落又抽枝。
自從一見桃華後、直至如今更不疑。
尋剣客ですが、剣客とは善知識を指し、30年間も善知識を訪ねてきたという意味です。
ただ剣客については故事がありまして、『呂氏春秋』の「察今」篇に、
楚人有渉江者。其劍自舟中墜於水。遽契其舟曰、是吾劍之所從墜也。舟止、從其所契者、入水求之。舟已行矣。而劍不行。求劍若此、不亦惑乎。
《楚人江を渉る者有り。其の劍、舟中自り水に墜つ。遽かに其の舟に契(きざ)みて曰く、「是れ吾が劍の從りて墜ちし所なり」と。舟止る。其の契みし所の者從り、水に入りて之を求む。舟は已に行(さ)り、而るに劍は行らず。劍を求むること此の若くならば、亦た惑(まど)いならずや。》
というのがあります。
昔、楚の人が舟に乗っていて、進んでいる舟の中から剣を落としてしまいました。剣を落とした人は、舟べりの剣の落ちたところに印を付け、舟を止めて、印の付いた所から水に入り、剣を探しました。剣が落ちたところから既に舟は過ぎ去っているのに、なお頑迷に水の中で剣を探していることを揶揄した故事です。禅門では徒に言句を尋ね求めても得られないことを喩えた言葉です。この故事は大変有名で、例えば『従容録』第60則「九峰頭尾」の頌評唱にも見えます。
このような無駄な努力を、霊雲さんは30年間も行ってきたということも言えます。しかし明石方丈様は、無駄になるかもしれないというリスクを負った修行を30年間も続けた結果、霊雲さんは大悟を得ることができたのだと解釈されていました。
修行生活を始めた頃は慣れなくて大変ですが、毎日同じことの繰り返しなので段々と修行生活にも慣れてきます。そうすると、ふと「このままでよいのか」という思いに駆られることがあります。
難しいことに挑戦しないで、毎日の繰り返しの修行は、無駄になるかもしれないというリスクを含んでいます。そこを敢てリスクを回避しないで修行を続けられるかどうかです。ここが修行者の試されるとこであると、明石方丈様は仰られていました。
澤木興道老師が17歳の時、暇な時間に坐禅をしていると、飯炊きの婆ちゃんが突然に、仏様に向かうより丁寧に、澤木老師を拝んだそうです。これが澤木老師をして坐禅を一生修すべきだと教えた出来事になりました。
坐禅という形が何と言わないでも、何をしなくても、無限に尊い姿であり、その故に飯炊きの婆ちゃんをして拝ませたわけです。坐禅をすることは広大無辺な修行をしていることになるのだと澤木老師は述べられています。
明石方丈様も最後に、このような毎日の切り返しの修行も、決して無駄なことではなく、「広大な功德をなすことにつながっているのだ」と、澤木老師のお言葉を例に喩えてお示しになられました。
今月のお知らせ
5月と6月の月番幹事は齋藤正好さんがお努めになられます。また今月は新しい方がお二人見えました。
昨年まで行っていた4月の定例参禅会の前の坐禅指導は中止となりました。坐禅指導は随時必要な時に行うことになりました。
佐藤年番幹事からのお知らせ
・6月5日の一日接心参加者は18名です。当日は7時50分に集合してください。小畑代表幹事の講演が2回あります。また、坐禅中に『普勧坐禅儀』を2回読みます。
・禅講の始まりの木版を吉澤さんにお願いしました。
明石方丈様からのお知らせ
・隣位問訊をする前に、自分の単の坐蒲をもんでください。それが隣の人への合図となります。
・止静鍾、経行鍾、抽解鐘は小鍾を優しく打つこと。続けて打つ時は、前の鐘の音が消えそうになった時に打つ。
・内単に入り聖僧さまの前では叉手問訊する。聖僧さまの横を通る時は軽く頭を下げる。
・直堂が蠟燭や線香に火をつけに行く時は、必ず聖僧さまの後を回って行くこと。
・坐禅中は大悲殿のカギを掛けますが、貴重品はご持参ください。
小畑代表幹事からのお知らせ
・年一回の一泊参禅は昭和61年6月の迦葉山から始まりました。途中から大悲殿での一夜接心となりましたが、宿泊者が少なくなったことで、一日接心となりました。
杉浦明珠編集委員長からのお知らせ
・椎名老師は6月26日(月)に千葉・柏リハビリテーション病院から退院されます。
・退院にあたって、千葉・柏リハビリテーション病院から5名の方が龍泉院に来られて、椎名老師が退院後、東堂にはどのようなリフォームが必要となるか調査されました。
新しく参加された方の感想
・猪狩さん:30分の坐禅は長いようで短いと思った。これからも機会があれば参加いたします。
・Petter Roccaさん:アイルランドから来ました。坐禅をやりたかったので、龍泉院のHPを見て来ました。美しい境内で坐禅中は小鳥の声も聞こえました。
今月の司会者 佐藤修平
今月の参加者 18名
来月の司会者 佐藤修平