今月の提唱
『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(3)
また香厳智閑禅師、かつて大潙大円禅師の会に学道せしとき、大潙いはく、なんぢ聡明博解なり。章疏のなかより記持せず、父母未生以前にあたりて、わがために一句を道取しきたるべし。香厳、いはんことをもとむること数番すれども不得なり。ふかく身心をうらみ、年来たくはふるところの書籍を披尋するに、なほ茫然なり。つひに火をもちて、年来のあつむる書をやきていはく、画にかけるもちひは、うゑをふさぐにたらず。われちかふ、此生に仏法を会せんことをのぞまじ、ただ行粥飯僧とならん、といひて、行粥飯して年月をふるなり。行粥飯僧といふは、衆僧に粥飯を行益するなり。このくにの陪饌役送のごときなり。
かくのごとくして大潙にまうす、智閑は身心昏昧にして道不得なり、和尚わがためにいふべし。大潙のいはく、われ、なんぢがためにいはんことを辞せず。おそらくはのちになんぢわれをうらみん。
かくて年月をふるに、大証国師の蹤跡をたづねて武当山にいりて、国師の庵のあとにくさをむすびて為庵す。竹をうゑてともとしけり。あるとき、道路を併浄するちなみに、かはらほどばしりて竹にあたりて、ひびきをなすをきくに、豁然として大悟す。沐浴し、潔斎して、大潙山にむかひて焼香礼拝して、大潙にむかひてまうす、大潙大和尚、むかしわがためにとくことあらば、いかでかいまこの事あらん。恩のふかきこと、父母よりもすぐれたり。つひに偈をつくりていはく、
一撃亡所知、更不自修治。動容揚古路、不堕悄然機。処処無蹤跡、声色外威儀。諸方達道者、咸言上上機。
《一撃に所知を亡ず、更に自ら修治せず。動容古路に揚がり、悄然の機に堕せず。処々蹤跡無し、声色外の威儀なり。諸方達道の者、咸く上々の機と言ふ》
今月の所感
龍泉院の境内は、ツツジや藤や牡丹や石楠花などの花が咲き乱れ、春爛漫と言った風情でした。
今月の「谿聲山色」のご提唱は、先月途中で終わってしまった香厳撃竹大悟の箇所を、最初から再度読み直しました。この話は大変有名で、『景徳傳燈録』巻11を初め、『聯燈會要』巻8や『五燈會元』巻9などの燈史の鄧州香嚴智閑禅師の章に、また大慧宗杲の語録『正法眼蔵』巻2や『禅宗頌古聯珠通集』巻25などにもみられます。
香嚴智閑禅師(?~897)は百丈懐海禅師(749〜814)について出家し、のち潙山霊祐禅師(771〜853)に参じました。潙山より「お前さんは聡明にして博学であるが、ひとつ注釈書の中から憶えたものではなく、父母未生以前から得た一句を、わがために語ってみよ」と言われました。
父母未生以前とは父も母もまだうまれない以前ですから、当然自分自身も生まれていないことです。転じて迷悟・凡聖等の二見を超越した、一念の起こらぬ当体、人人自己本来具有している心性。あるいは本来の面目の当処を指します。
そこで香厳さんは何度も試みてみましたが、なかなか見当がつきません。ふがいない自分を恨み、長年にわたって集めていた仏教の注釈書を読み漁りましたが、明解な答えを求めることができませんでした。
そこで役に立たない書籍を焼却してしまい、「画に描いた餅では、飢えをしのぐことができない。私は一生、仏法を学ぶことを望まない。そのかわり、修行僧たちが仏法を得することができるように、真の食事をつくる行粥飯僧になろう」と言って、香厳さんは粥飯を行じて幾年も過ごしたのです。
ところで、香厳さんは「画に描いた餅では、飢えをしのぐことができない」と言いましたが、『正法眼藏』「谿聲山色」の巻の一つ前の「画餅」の巻では、道元禅師は「画餅不充飢」について詳しく拈提されています。
この巻は非常に難解でしかも凡人の常識をはるかに超えたところがあります。道元禅師は「画餅不充飢」について、「画餅にあらざれば充飢の薬なし」と述べられ、画餅でなければ飢えをみたすことができない、画餅だからこそ飢えを充たすことができるのであると、拈提されておられます。まったく凡人の考えとは逆転しているのです。機会があれば、明石方丈様に「画餅」の巻のご提唱をいただきたいものです。
かくして、香厳さんは潙山和尚に、「私は身も心も昏く、和尚さまの問には答えることができません。どうか私めに教えを垂れて下さい」と懇願しました。すると潙山和尚は、「わしはお前さんのために説くことを辞するものではないが、しかし、そうしたならば、後にお前さんはわしを恨むことになるであろう」と告げました。
香厳さんは潙山和尚のもとを去り、六祖慧能の法嗣の南陽慧忠大証国師(?~775)の蹤跡をたづね、草庵を結び、草庵のまわりに竹を植えて住んでいました。ある日、道路の掃除をしている時に、掃いた小石が飛んで竹に当たり、カツンと音が響きました。それを聞いた時、香厳さんは豁然を大悟したのです。
庵に帰りはるか大潙山に向って、「大潙大和尚、むかし私のために説いてくださったならば、どうして今、このようなことがあるでしょうか。和尚の恩の深いことは父母よりもすぐれています」と感謝の言葉を述べました。そして次のような偈をつくったのです。
「小石が竹に一撃したあの音で、今まで知識で形作っていた世界は崩れ、もはやあれこれ思い煩うことはない。私のありのままの姿が古仏の道につらなっており、わびしくとも静かに力がみなぎる。どこにもとらわれる跡形がなく、一切万境の外の世界にいる。諸方の道に達した方々が、皆、上々のはたらきだと言ってくださるだろうか。」
この偈を潙山和尚に呈した時、「こやつは徹底しよったわい」と潙山和尚は絶賛したのです。
明石方丈様は、香厳さんが潙山和尚に、「智閑は身心昏昧にして道不得なり、和尚わがためにいふべし。」と懇願した時には、潙山和尚は香厳さんが既に悟っていることを分かっていたのだが、不立文字、教外別伝を標榜する禅では、経典から離れてひたすら坐禅辨道することによって、悟りを直接体験することを重視することから、潙山和尚は敢て説かず、香厳さんが何かのきっかけで悟ることを待っていたのだと言われました。まさに洞山過水の偈も同じことが言えるのではないかと仰られていました。
今月のお知らせ
例年4月には坐禅の始まる8時30分から坐禅指導がありましたが、今年は諸般の都合で中止となりました。また、定例参禅会の後に行われていた筍堀は、例年より筍の出るのが早く、すでに掘り尽されているため、今年は中止となりました。
杉浦明珠編集委員長からのお知らせ
・『明珠』の編集は五十嵐さんと吉澤さんの3人で行うことになりました。また龍泉院のHPと併せて広報戦略を立てていきたいと思います。
・椎名老師から毎週1回お電話をいただいています。ご老師にはじっくりとリハビリに励んでいただきたいと思っています。
佐藤年番幹事からのお知らせ
・降誕会の参加者は15名でした。
・今日の筍堀は中止です。
・一日接心の参加申込は現在14名です。来月も参加申込を受付けます。
・3月4月の月番幹事を小林さんが務めてくださいました。5月6月は齋藤さんにお願いしました。
小林月番幹事からのお知らせ
・裏山に金襴が咲いています。三角山にも山野草が咲き始めました。
松井さんからのお知らせ
・金襴がきれいに咲いているので散策しましょう。
岡本さんからのお知らせ
・前年からの多大な繰越金のお陰で安心して会計が行えます。
明石方丈様からのお知らせ
・今月の26日と27日に裏山のお墓の傍の大きな杉の木を伐採します。
・裏山にはニラに似た水仙がありますが、水仙の葉には猛毒がありますから、ニラと間違えて採らないでください。
今月の司会者 佐藤修平
今月の参加者 21名
来月の司会者 佐藤修平