今月の提唱

『正法眼藏』「徧參」の巻(1)

 

IMG 3219JPG 1佛祖の大道は、究竟參徹なり。足下無絲去なり。足下雲生なり。しかもかくのごとくなりといへども、華開世界起なり、吾常於此切なり。このゆゑに甜瓜徹蔕甜なり、苦瓠連根苦なり。甜甜徹蔕甜なり。かくのごとく參學しきたれり。
玄沙山宗一大師、因雪峰召師曰、備頭陀、何不徧參去。師云、達磨不來東土、二祖不往西天。雪峰深然之。
いはゆる徧參底の道理は、翻巾斗參なり、聖諦の亦不爲なり、何階級之有なり。
南嶽大慧禪師、はじめて曹谿古佛に參ずるに、古佛いはく、是甚麼物恁麼來。この泥彈子を徧參すること始終八年なり。末上に徧參する一著子を、古佛に白してまうさく、懷讓會得當初來時、和尚接懷讓是甚麼物恁麼來。ちなみに曹谿古佛道、作麼生會。ときに大慧まうさく、説似一物即不中。これ徧參現成なり、八年現成なり。曹谿古佛とふ、還假修證否。大慧まうさく、修證不無、染汚即不得。すなはち曹谿いはく、吾亦如是、汝亦如是、乃至西天諸佛諸祖亦如是。これよりさらに八載徧參す。頭正尾正かぞふるに、十五白の徧參なり。恁麼來徧參なり。説似一物即不中、諸佛諸祖を開殿參見する、すなはち亦如是參なり。

今月の所感

今月から「徧參」の巻のご提唱が始まりました。道元禅師が「徧參」の巻を禅師峰で示されたのは寛元元年(1243)11月27日ですが、「徧參」の巻のご提唱が始まったのは奇しくも11月27日でした。
徧參とは禅僧がひろく天下を行脚して、諸方の善知識を訪ね参学することです。「徧參」の巻の冒頭に、「佛祖の大道は、究竟參徹なり。足下無絲去なり。足下雲生なり」と示されています。その意味は、佛祖の大道は徹頭徹尾、善知識を訪ねることに尽きる。行脚の仕方は、「足もとに乱れさすようなものがなく」、あるいは「足もとに雲を生ずる」ような趣があるべきだと言うのです。
因みに「足下無絲去」という語句は『景徳傳燈録』巻15の洞山良价禅師の章に見える言葉です。「僧問、師尋常教學人行鳥道、未審如何是鳥道。師曰、不逢一人。曰、如何行。師曰、直須足下無絲去。(僧問う、師尋常學人をして鳥道を行ぜしむ、未審、如何ならんか是れ鳥道。師曰く、一人にも逢わず。曰く、如何が行ぜん。師曰く、直須く足下無絲し去れ)。」
また「足下雲生」という語句は『景徳傳燈録』巻3の菩提達磨の章に見える言葉です。「波羅提恭稟師旨云、願假神力。言已雲生足下、至王前默然而住。(波羅提恭しく師の旨を稟けて云く、願わくは神力を假らんことを。言い已りて雲足下に生じ、王の前に至り、默然として住せり)。」
冒頭に「佛祖の大道は、究竟參徹なり。足下無絲去なり。足下雲生なり」と述べられていますが、次に「華開世界起なり、吾常於此切なり」とあります。即ち、「菩提心の花が開いて、世界が起こることもある」と言われた仏祖もあるし、「わしはいつも、今ここが切実なんじゃ」と言われた仏祖もおられたと言うのです。
因みに「華開世界起」という語句は、『景徳傳燈録』巻2の般若多羅尊者の章の偈に見える言葉です。「心地生諸種、因事復生理。果滿菩提圓、華開世界起。(心地諸種を生じ、事に因り復た理生ず。果滿ちて菩提圓かなり、華開いて世界起こる)。」
また「吾常於此切」も『景徳傳燈録』巻15の洞山良价禅師の章に見える言葉です。この語句は『従容録』第98則「洞山常切」で萬松行秀が拈提されており、『明珠』23号に「洞山常切」に関する椎名老師の提唱が掲載されていますので、ご参照下さい。
IMG 3220JPG 1次に玄沙師備と雪峰義存との行脚に関する問答が展開されています。玄沙が雪峯のところを離れ行脚に出て、山を下ろうとした途端、石につまずき足の指に激痛が走ったその時、ハッと思い当たるところがあり、引き返してきました。それを見た雪峯が、「頭陀袋まで用意して何故行脚に出かけないのか」と問いかけると、玄沙は、「達磨は中国に来たわけでもなく、二祖も印度に行きませんでした」と答えたのです。この言葉に雪峯は大いに頷いたというのです。
この玄沙と雪峯の行脚に関する問答について、道元禅師は、玄沙と雪峯の問答では徧參の道理がすっかりひっくり返っており、このようなことは佛の説かれた教えにも見えないし、修行のどの段階にも当てはまらないとコメントされています。
次に南嶽懐譲禅師が六祖慧能禅師に参じた時の有名な問答が取りあげられています。六祖慧能が、「何者がこのようにやって来たのだ」と問うと、南嶽は何も答えることができず、その答えを求めて慧能のもとで8年間修業したのです。ある日南嶽は、「わたくし懐譲がはじめてこちらに参りました時、和尚さまはわたくし懐譲にお会いくださり、『何者がこのようにやって来たのだ』と言われましたが、そのことがやっとわかりました」と言いました。
すると慧能は、「では、そなたはそれをどのようにわかったのか」と尋ねると、懐譲は、「一物をあげて申したのではあたりません」と答えました。これが南嶽が8年間修業した成果なのです。
そこで慧能が、「では、まだ修行とか悟が必要であろうか、どうだろう」と問うと、南嶽は、「修行や悟が要らない訳ではありません。ただ修行も悟も純粋でなければなりません」と答えました。慧能は、「わしもそうだし、お前もそうだ。西天の諸佛諸祖も護念されたところだ」と南嶽の悟りを認めたのです。その後もまた8年間、南嶽は慧能のもとで修行し、慧能の法を嗣いだのです。
道元禅師は六祖慧能と南嶽懐譲の問答から、「恁麼來(どのように来たのだ)」も徧參であると述べられています。また、「説似一物即不中(一物をあげて言ったのではあtらない)」と言って、諸佛諸祖の扉を開き、佛祖に参見したのも、またこれ徧參であると述べられています。
このように徧參とは最初に、ひろく天下の善知識を訪れ参学することであると示されていましたが、どうもそれだけではないようです。
来月から、徧參についての道元禅師の拈提が楽しみです。

松井年番幹事からのお知らせ

・12月4日(日)に第40回の成道会が行われます。現在参加申込は17名です。
・12月11日(日)に歳末助け合い托鉢が行われます。現在参加申込は5名です。
          歳末助け合い托鉢はこちらから>>
・龍泉様からカレンダーのプレゼントがありますので、各自1本ずつお持ち帰り下さい。

五十嵐「洞山良价禅師千百五十回遠忌」担当からのお知らせ

IMG 3224JPG 1・洞山良价禅師千百五十回遠忌の参加者は85名でした。

・椎名老師を始め17名の方からお祝い金をいただきました。
・椎名老師から『洞山』(臨川書店)と『石頭』(臨川書店)を各々20冊、添菜してくださいました。
・小畑代表からは講師謝礼・交通費・宿泊費、当日のお弁当、講演会の盛花・スタンド生花一対など、多数の添菜をいただきました。
・杉浦様からは洞山良价禅師千百五十回遠忌の木主を寄贈していただきました。
・その他の方々からも多数の添菜をいただきました。
・ユーチューブで参禅会50周年記念行事(在家得度式、記念法要、記念講演・対談)の動画を配信しました。「ユーチューブ」と「龍泉院参禅会」と2つのキーワード入れて検索すると、動画一覧が提示されますので、ご覧ください。

明石方丈様からのお知らせ

・参禅会50周年のための本堂の飾り付けを、有志の方々により片づけをしてくださいました。御礼を申し上げます。
・最近、体調を崩される方が多く見受けられます。健康には十分ご留意ください。

小畑代表幹事からのお知らせ

・龍泉院参禅会50周年の諸行事は無事円成しました。これは偏に皆様方のご協力のお陰です。
・今後の50年は一人ひとりが地道に坐禅をしてゆくことだと思います。坐禅の多い少ないは問題ではありません。椎名老師はこれまで参禅会を一回も休まれたことがありません。休みなく続けることが大事です。仏法は2500年間続いたものですから、参禅会も今後の50年間は十分続いて行くと確信しています。
・来年の年番幹事を佐藤さんにお願いしています。もう一人どなたか年番幹事になっていただく方はいませんか。

椎名老師からのお知らせ

・参禅会の今後のあり方については、小畑代表と全く同じ気持ちです。
・記念講演の時に救急車で搬送された加藤さんが、退院後ご挨拶に来られて、「皆様にはご迷惑をお掛けしました」と仰っていました。

 

今月の司会者 松井 隆
今月の参加者 14名
来月の司会者 松井 隆