令和4年4月8日(金)午後2時から降誕会(花まつり)が行われ、参加者は16名でした。
本堂の正面に花御堂が置かれ、中には生まれたばかりのお釈迦さまが安置されていました。

午後1時過ぎから法要の練習を行いました。導師は明石方丈様、先導は佐藤さん、侍者は松井さん、侍香は小畑(二)さん、殿鍾と維那は杉浦さん、副堂は五十嵐が務めました。明石方丈さんのご指導で基本動作をおさらいした後、本番の法要に臨みました。
七下鍾が打ち鳴らされ、導師一行が入堂し、導師が釈尊の生誕を讃える拈香法語を読み上げ、焼香普同三拝、『般若心経』を一同で唱和し、、回向文が読み上げられ、普同三拝、その後、導師一行が退堂しました。


続いて明石方丈様から次のようなご法話がありました。
今日の法話は「一外国人が見た日本の禅」というお話をしたいと思います。ドイツ人のオイゲン・ヘリゲルが書いた本に『弓と禅』(角川ソフィア文庫出版)という著作があります。因みに岩波文庫からはオイゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』という本が出版されています。
オイゲン・ヘリゲルは哲学者・思想家で、1920年代に日本に滞在した時、弓道について学び、弓道を通して禅を広く海外に紹介された方です。
オイゲン・ヘリゲルは弓の聖人と仰がれた阿波研造に指導を受けたのですが、阿波研造との対話の中に、武道や古典芸能や禅について興味深いお話が出てくるのです。オイゲン・ヘリゲルなどの外国人は、日本人のように弓道を通して自己の修行や礼節を身につけるのではなく、日本文化を理解するためとか、ひいてはそれに影響を与えた禅を知るために弓道を学ぶことが多かったようです。
オイゲン・ヘリゲルが数多い武道の中から何故弓道を選択したのかというと、この人は拳銃の術を身につけており、これに似た武道として弓を選ばれたそうです。
弓道の基本として「射法八節」というのがあります。一番目の動作が足踏み(立つ位置を決める)、二つ目が胴造り(姿勢を整える)、三つ目が弓構え(弦に指をかける)、四つ目が打起し(弓を持ち上げる)、五つ目が引分け(弓を引く)、六つ目が会(狙いを定めて満を持す)、七つ目が離れ(矢を射る)、八つ目が残心(残身とも。矢を射た後の姿勢)です。この八つの動作をあわせて「射法八節」と言って、弓道の代表的な基本動作とされています。
オイゲン・ヘリゲルは射法八節の中の六番目の「会」と七番目の「離れ」を大変重視しました。弓矢を遠くまで飛ばすそうといっぱい弦を引きますと、全身の筋肉が緊張し、その状態をしばらく維持すると、身体が震えたり呼吸が乱れます。従って姿勢が決まったら間髪入れずに矢を放とうとしてしまいますが、それではいけないのです。
阿波研造は「無心の離れ」を説いています。「無心の離れ」とは自然に矢が弓から離れるようにすることですが、彼は弓道の一番の欠点は「的に中てようとする意志を持つこと」だと言うのです。「あなたは無心であることを学ばなければならない。矢が自然に離れるまで待たなければならない。」とも言っています。また、「正しい道は目的がなく意図がないもの」とも言っています。禅では悟りを終えた後の悟後の修行が大事だと言われていますが、それに似たものかとも思います。さらに、「矢が正しく身から離れて行かないのは、我執だとか執着とかにより、あなた自身が離れていないからだ。」とも言っています。
弓道に「早気(はやけ)」という言葉があります。弓を引いて十分な間合いをとらず矢を放ってしまうことです。これは厳に戒められている行為です。弓道人口の約7割の人が早気の癖を持っているそうです。なぜ早気がだめなのか。それは弓道の修行がいったんスランプに陥ってしまうと、それを克服することが難しいからだと言われています。風とか光の具合などを見て、ゆっくり待たないと的に中らないのです。落ち着いて自然の状況を観察して矢を離すとこが重要な事なのです。
私は元自衛官でして、小銃についてはやったことがあります。やはり似たような教えがありました。姿勢がしっかりしていなければならない、照準をちゃんと合わせる、呼吸法もちゃんとしなければならない、引金の引き方など、色々な注意点がありました。引金を引くことはなかなか難しい。引金を引くことを撃発と言いますが、これは弓道でいう「離れ」にあたります。普通に引金を引いたのでは鉄砲も的には中りません。暗夜霜の降る如く引金を引く、要は自然に引金を引く状態になるまで待たないとダメなんです。
オイゲン・ヘリゲルさんと師匠の阿波研造さんとの言葉のやりとりの中で、阿波研造の闇夜で的を射る話が出てきます。
真っ暗な自宅道場で一本の蚊取線香に火を灯し的の前に立てる。線香の灯が暗闇の中にゆらめくのみで、的は当然見えない。そのような状態で、阿波さんは矢を二本放つ。一本目は、的の真ん中に命中した。二本目は、一本目の矢の筈に中たり、その矢を引き裂いていたのです。その時阿波さんは二本目が一本目の矢の筈に中ったことについて、「私が弓を引いて私が中てたのではなく、それが射てそれが中てた。」と言っています。オイゲン・ヘリゲルさんは「それ」が何かを、日本滞在中、弓道の修行を通じてズット探していましたが、ある時おぼろげながら理解し、たどり着くことができたそうです。
オイゲン・ヘリゲルさんがはっきりと書いていませんが、「自分が意識的な努力によって、身につけた能力で中てる」ことは、「私が弓を引いて私が中てること」であり、「それが射てそれが中てる」とは、「努力によって身につけた能力が、自己を離れた無意識で作用したもの」ではないかと思います。「それ」とは、自己の能力を最大限に発揮した不可思議なはたらきのことではないでしょうか。
因みに不思議について、楽天の野村克也監督の名言に、「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉があります。この言葉の語源は九州平戸藩の藩主で武道の達人でもあった松浦静山が執筆した剣術書『剣談』の中の一節です。因みにこの人は随筆集『甲子夜話』も著しています。最大級の努力の後に言葉にならない不可思議な作用が働く、これが「それが射てそれが中てた」という表現につながるのではないかと思います。
以上の事柄から私は、『正法眼蔵』「現成公案」の中にある「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」が思い出されます。仏道を弓道に置き換えると、オイゲン・ヘリゲルさんが述べたかったことが要約されているように思います。
道元禅師の言葉の中には他己という言葉があります。他己の解釈には諸説ありますが、私は「他人とのかかわりの中でつくりあげた自分」と解釈しています。どんな能力も教えてくれる人(他人)がいて、あるいは競い合う仲間(他人)がいて、初めて習得することができるわけです。私が自己を見つけたからと言って、いきなり弓の達人になるわけではありません。他己(他人)との関わりの中で技は磨かれて習得して行くことになるです。そこからさらに一歩踏み込むためには、それらをも脱ぎ捨てる必要があるのだと言っているのが、「他己の身心をして脱落せしむる」ことだと思います。
最後に「守・破・離」についてお話したいと思います。武道とか芸能の世界ではよく使われる言葉です。守とは、師匠の指導・監督の元で基本を学び、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。破とは、自分だけで師から教えられた物事が一通りできる段階。離とは、師の元から離れ、さらに腕に磨きをかけて新しい技を磨くことができる段階のことです。
これを「現成公案」の言葉に置き換えると、守とは「自己をならふ」、破とは「自己をわするる」、離とは「自己の身心および他己の身心をして脱落せしむる」というようになります。
今日は離という言葉が出てきましたが、仏道をはじめ武道・芸道という道の名がつくものは、守とか破とか離とかを探求し続けることが求められるのかもしれません。
簡単ではありますが、これで本日の降誕会の法話を終えらせていただきたいと思います。どうもご清聴ありがとうございました。

 

ご法話の後、小畑代表が甜菜してくださいましたお菓子をいただきお開きとなりました。降誕会の法要の後、坐禅堂の裏山で筍堀が行われ、大きな在筍を一人二本ほどいただきました。これも降誕会参加の功德かもしれません。