今月の提唱
『正法眼藏』「春秋」の巻(2)
淨因枯木禅師<嗣芙蓉和尚諱法成和尚>云、衆中商量道、這僧問既落偏、洞山答帰正位。其僧言中知音、却入正来、洞山却從偏去。如斯商量、不唯謗涜先聖、亦乃屈沈自己。不見道、聞衆生解、意下丹青、目前雖美、久蘊成病。
大凡行脚高士、欲窮此事、先須識取上祖正法眼蔵。其餘佛祖言教、是什麼熱椀鳴聲。雖然如是、敢問諸人、畢竟作麼生是無寒暑処。還會麼。
玉樓巣翡翠、金殿鎖鴛鴦。
師はこれ洞山の遠孫なり、祖席の英豪なり。しかあるに箇箇おほくあやまりて、偏正の窟宅にして、高祖洞山大師を禮拝せんとすることを烱誡するなり。佛法もし偏正の局量より相伝せは、いかてか今日にいたらん。あるひは野猫兒、あるひは田厙奴、いまた洞山の堂奥を参究せす。かつて佛法の道閫を行李せさるともから、あやまりて洞山に偏正等の五位ありて、人を接すといふ。これは胡説亂説なり、見聞すへからす。たたまさに上祖の正法眼蔵あることを参究すへし。
慶元府、天童山、宏智禅師<嗣丹霞和尚諱正覺和尚>云、若論此事、如兩家著碁相似。儞爾不應我著、我即瞞汝去也。若恁麼體得、始會洞山意。天童不免下箇注脚。
裏頭看勿暑寒、直下滄溟瀝得乾。我道巨鼇能俯拾、笑君沙際弄釣竿。
しはらく著碁はなきにあらす、作麼生是兩家。もし兩家著碁といはは、八目なるへし。もし八目ならんは著碁にあらす、いかん。いふへくは、かくのことくいふへし、著碁一家敵手相逢なり。
しかありといふとも、いま宏智道の儞不應我著、こころをおきて功夫すへし。身をめくらして参究すへし。儞不應我著といふは、なんちわれなるへからすといふなり。我即瞞汝去也、すこすことなかれ。泥裏有泥なり。踏者あしをあらひ、また纓をあらふ。珠裏有珠なり、光明するにかれをてらし、自をてらすなり。
今月の所感
令和4年3月21日(月)に新型コロナに対する「まん延防止等重点措置」が解除となり、今年の1月から休止となっていた定例参禅会が3月27日(日)に再会されました。境内にはレンギョや寒緋桜などが咲き誇り春満開という感じでした。小鳥の声を聞きながら、3ヶ月ぶりに坐禅堂で坐ることのできる喜びを味わいました。
今月のご提唱は昨年の12月から始まった「春秋」の巻の2回目です。
先回では洞山良价禅師の「無寒暑」の公案について、道元禅師が拈提されていましたが、今月は枯木法成禅師と宏智正覚禅師の「無寒暑」についての捉え方に対する道元禅師のコメントです。
まず枯木法成禅師(1071~1128)ですが、法成の号である枯木とは、枯れ木のようにもっぱら坐禅に打ち込む人であることをあらわします。秀州(浙江省)嘉興の人で、俗姓は潘氏。17歳で沙弥となり、雲門宗の慧林宗本の法嗣の本覚寺守一に参じて受具しました。安心の法を問うて東林寺の常聡、泐潭の真浄克文、死心悟新、大潙慕喆などに歴参する。33歳の頃、随州(湖北省)大洪山に至り、芙蓉道楷に参じてその法を嗣いだ人です。政和二年(1112)左街淨因禅院に住し、その後、潭州(湖南省)の大潙密院、道林広慧、韶州(広東省)南華宝林寺などの名刹に住しました。
まず法成さんは「衆中商量道、這僧問既落偏、洞山答帰正位。其僧言中知音、却入正来、洞山却從偏去。如斯商量、不唯謗涜先聖、亦乃屈沈自己。(衆中に商量して道く、這の僧の問は既に偏に落ち、洞山の答は正位に帰す。其の僧言中に音を知り、却て正来に入り、洞山は却て偏に從い去く。斯くの如くの商量は、唯だ先聖を謗涜するのみにあらず、亦た乃ち自己をも屈沈す。)」と言っています。大衆がいろいろ議論して言うには、僧と洞山さんとの「寒暑」についての問答では、この僧の問は既に偏に陥って片寄っていたが、それを洞山さんは正しい位に引き戻すように答えているのである。僧は洞山さんの答えの中に正しい音色があることを知り、ひるがえって正に帰することができた。一方洞山さんは僧を導くために敢て偏に調子を合わせたのであると。このように大衆は議論しているけれども、これはただ先聖を冒瀆するものであり、また自分をもないがしろにするものであると、法成さんは指摘されています。
北宋末に活躍した法成さんですが、彼のまわりではこのように、偏正五位によって洞山さんと僧との「無寒暑」の公案を誤って解釈する仕方が行われていたのです。法成さんはキッパリと偏正五位を批判していることが分かります。
道元禅師も法成さんについては、「師はこれ洞山の遠孫なり、祖席の英豪なり。しかあるに箇箇おほくあやまりて、偏正の窟宅にして、高祖洞山大師を禮拝せんとすることを烱誡するなり。」と評価しています。即ち、法成さんは洞山さんの流れをくむ人で、祖師方の中でもなかなかの傑物である。しかるに、今の世には偏だの正だのに捉われて、高祖洞山大師を崇め奉っているような輩が多い。それを法成さん炯眼をもって見抜き、はげしく訓戒しているのであると道元さんは指摘されているのです。
さらに佛法が偏正について議論しながら伝えて行くようなことがあったならば、今日のような佛法とはならなかったし、洞山禅師が五位偏正を説いたというのは全くのでたらめで、そのような説を見聞きしてはならないと、道元禅師はビジッと抑えておられます。
次に宏智正覚禅師を取りあげられています。宏智正覚禅師(1091~1157)は隰州(山西省)の出身の人で、俗姓は李氏。11歳の時、浄明寺本宗について得度し、14歳の時に晋州(山西省臨汾)慈雲寺智瓊に具足戒を授けられる。18歳の時に諸国の老宿を歴参する志をたて、まず枯木法成を訪ね、ついで丹霞子淳に参じて法を嗣ぐ。建炎三年(1129)に天童山(浙江省寧波)に迎えられる。時の天童山は貧しく、堂舎も狭小であったが、正覚の住山以後、伽藍は完備し、特に大僧堂は完全に清規に則って建築され、1200人の雲衲を容れるにふさわしい禅寺となった。ほとんど30年にわたって住山したため、天童中興の祖と称せられる。正伝の宗風を挙揚し、坐禅・黙照がその禅風の指標となって、世に黙照禅・宏智禅と称されています。
宏智禅師は洞山の「無寒暑」の公案について、二人で碁を打つのによく似ていると解釈しています。碁の打つ人は、「相手は私の打った一手になかなか応じてこないし、私は相手をごまかそうとばかりしている。」と思うものであると。
宏智さんが、「相手は私の打った一手になかなか応じてこない」と言ったのは、「お前さんは決して私ではない」ということを意味していると、道元さんは解説しています。つまり、「寒い暑いに対応しているのは自分自身で、誰か他の人に代わってもらうことなどはできなということでしょう。
また、宏智さんが、「私は相手をごまかそうとばかりしている。」と言ったのは、「泥に踏み込んだら、泥の中には泥があるだけ。泥に踏み込んだ後は、きれいな水で冠の紐を洗い、水が濁ってきたら足を洗えばよい。珠の中には珠があるばかりで、珠の光明に照らされることになる。」と道元禅師は解説しています。つまり、暑さ寒さに対処したならば、どっぷりと暑さ寒さに浸りきりなさい。そうすれば泥を洗い流す水のようなもので、暑さ寒さを洗い流せばよい。珠の中に入れば珠の光明に照らされるように、暑さ寒さに浸っていれば、自己の光明に照らされることになるのでしょうか。なかなか難解な箇所ですね。
松井年番幹事からのお知らせ
・今年は私と五十嵐さんの二人で年番幹事を務めることになりました。よろしくお願いいたします。
・来月は参禅会の後に筍堀があります。参加される方は足もとのしっかりした履物をご用意してください。またスコップのある方はご持参ください。また筍を入れる袋もご用意してください。
五十嵐年番幹事からのお知らせ
・令和4年の参禅会の行事予定表をお配りします。4月8日の降誕会へ参加希望の方は申込書にご記入してください。6月の一日接心については、今後のコロナ状況を見て開催の有無を決定します。
小畑代表幹事からのお知らせ
・今年は龍泉院参禅会50周年の記念行事を予定しています。
① 第5回在家得度式 ②洞山良价禅師1150回遠忌 ③『口宣』上梓 ④龍泉院参禅会HP改修
・新型コロナ過でも作務班の方々の努力で境内がきれいになっています。
・『明珠』77号の発行、ご苦労様でした。
杉浦さんからのお知らせ
・湯尾峠「御守り札」孫嫡子を新型コロナ疫病除としてお配りします。コロナ封じになることを期待しています。
・小畑代表がお好きな良寛さんの句、「焚くほどは風がもてくる落葉かな」を坂牧さんに揮毫していただき、新しい志納金箱に貼付しました。
椎名東堂老師からのお知らせ
・作務班の活躍で境内が大変きれいになり感謝しています。
・『明珠』77号の発行に際し、編集委員のご努力に感謝します。
・コロナが一日でも早く収束することを祈っていいます。
・吉岡大龍和尚が住職の資格を取り、習字の練習もしているそうです。
明石方丈和尚からのお知らせ
・昨今は新型コロナに続いてウクライナについての情報が氾濫しています。情報には二種類あり、一つはインフォメーション、二つはインテリジェンスです。インフォメーションは取得したままの情報を意味します。インテリジェンスは取得した情報を分析・加工したものです。日本語では「インフォメーション」も「インテリジェンス」も「情報」と訳されますが、情報の取得方法を工夫し、インテリジェンス力をUPして、どの情報が正しいのか判断する必要があります。
今月の司会者 松井 隆
今月の参加者 20名
来月の司会者 松井 隆