令和3年2月15日(月)午後2時から涅槃会が行われました。本堂の右側には江戸時代の正徳5年(1715)に制作された涅槃図が掛けられていました。当日は新型コロナに対する緊急事態宣言発令中とあって、一般の方の参加は中止となり、参禅会の役員だけによる法要となりました。
先導は小畑代表、導師は今年から明石和尚、侍者は佐藤さん、侍香は山桐さんが務められました。また殿鍾は松井さん、維那は杉浦さん、副堂は五十嵐が務めました。
法要本番の前の午後1時半から新しい導師のもとでのリハーサルを行いました。椎名老師の時と明石和尚とでは、少し動作に違いが見受けられ、その違いを確かめながらリハを進めました。また、松井さんは殿鍾のお役が初めてなので、杉浦さんが指導に当たっていました。
午後2時に導師一行が入堂し、明石和尚が拈香法語を読み上げられました。明石和尚が香語を詠まれるのは初めてなのではないかと思います。椎名老師のような朗々とした響きはありませんが、逆に初々しさが感じられる香語でした。
続いて焼香、普同三拝、『般若心経』と『舎利礼文』を諷誦し、回向文をお唱えし、普同三拝して法要は終わりました。
法要の後、明石和尚の法話に移りました。明石和尚の法話を拝聴するのも初めてです。どのようなことをお話しされるのか大変興味深いところです。
最初に全てのものごとは無常であることの喩えとして、森林形成における樹木の遷移についてのお話がありました。樹木には陽樹と陰樹の二種類があるそうです(陽樹・陰樹については初めてお聞きする言葉です)。陽樹にはクリ・コナラ・ハンノキ・ミズキ・ダケカンバ・シラカバ・クロマツ・アカマツ・クヌギなどがあります。陽樹は日光があたると成長のスピードが速いので、森林が形成される時には陽樹がまず大木になるそうです。
陰樹にはタブノキ・エゾマツ・スダジイ・ブナ・カシなどがあります。日陰でも育つのですが、成長のスピードが遅いので、初めは陽樹の陰で育つことになります。ゆっくり成長し、やがて大木になると、陽樹にあたっていた日光を遮ることになります。光を遮られた陽樹は段々と枯れて行き、やがて倒れてしまいます。結果として森林は陰樹だけとなってしまうのです(小さい時に神童と言われた子供も大人になると平凡な人となり、目立たない子供がコツコツと努力して大人になってから出世するような、人間社会を見るようです。否、人間社会が自然界の法則に従っていると見るべきでしょう)。
次に涅槃会に因んで『佛遺教経』の中で説かれている八大入覚の内の少欲・知足に関連したお話がありました。
仏教を応用した学問に「仏教経済学」があります。1966年にドイツ生まれのイギリス経済学者エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハが提唱した学問で、寺院経済学ではありません(シューマッハには『スモール イズ ビューティフル』という有名なエッセイ集があります)。日本ではアサヒビールのドライの広告に登場した落合信彦さんのご子息の落合陽一さんなどが提唱されています。
仏教経済では簡素(少欲・知足、無執着)と非暴力を基本とし、最小資源で最大幸福を得ることを目的とし、経済として自利だけでなく利他も目的とするものです。資本主義経済が物質の消費量を幸福の指標とし、自利の追及のみを目的とするのとは正反対なのです(シューマッハが1955年にビルマ政府の経済顧問として現地を訪れ、現地の仏教徒の生活に感銘を受け、特に八正道の正業・正精進に基づいて仏教経済学を提唱したと言われています)。
また仏教経済学では持続可能性を標榜しています。最近日本でもSDGs(持続可能な開発目標)が新聞やテレビでもよく見聞きするようになりましたが、お釈迦さまは2500年前に、すでにこのことを説かれているのです。
資本主義経済学では幸福とは物質的満足感であるとし、GDPの増大に焦点をあてていますが、仏教経済学が目指すシステムでは、経済がどの程度生活の質(幸せ)、持続可能性(健全な生態系)と繁栄の分かち合いを提供しているか、それらを評価するする尺度が必要となります。従って今日、GDPに代わる指標の開発が待たれるところなのです。今日は涅槃会に因んで、仏教と経済についてのお話をさせていただきました。
以上が明石和尚のお話の概要ですが、明石和尚からはこれまでの椎名老師とは違って、今日的な課題を取り上げられ、いかに仏教が果たす役割が大きいかをお話ししてくださいました。大いに参考となりまた。
法話の後、椎名老師と共に、坐禅堂で報恩の坐禅を一炷行いました。