「今月の講義を聴いての感想」


参禅会 五十嵐嗣郎

今月の提唱

『正法眼藏』「身心學道」の巻(7)

IMG 3652JPG 1たとひ威音王よりさきに、發足學道すれとも、なほこれみつからか兒孫として増長するなり。
 盡十方世界といふは、十方面ともに盡界なり。東西南北四維上下を、十方といふ。かの表裏縦横の究盡なる時節を思量すへし。思量するといふは、人體はたとひ自他に罣礙せらるといふとも、盡十方なりと諦觀し決定するなり。これ未曾聞をきくなり。方等なるゆゑに、界等なるゆゑに。人體は四大五蘊なり、大塵ともに凡夫の究盡するところにあらす、聖者の参究するところなり。また一塵に十方を諦觀すへし、十方は一塵に嚢括するにあらす。あるひは一塵に僧堂佛殿を建立し、あるひは僧堂佛殿に、盡界を建立せり。これより建立せり、建立これよりなれり。恁麼の道理、すなはち盡十方界眞實人體なり。自然天然の邪見をならふへからす。界量にあらされは廣狭にあらす。盡十方界は、八萬四千の説法蘊なり、八萬四千の三昧なり、八萬四千の陀羅尼なり。八萬四千の説法蘊これ轉法輪なるかゆゑに、法輪の轉處は、亙界なり、亙時なり。方域なきにあらす、眞實人體なり。いまのなんちいまのわれ、盡十方界眞實人體なる人なり。これらを蹉過することなく學道するなり。

 

今月の所感

先回から〔身学道〕についてのご提唱となりました。〔身学道〕とは体でもって真実を学ぶということです。今回のご提唱では「盡十方界眞實人體なり」が事細かに説き尽されています。「盡十方界眞實人體なり」をわがものにすべく、取り組んでみたいと思います。

 

最初に「たとひ威音王よりさきに、發足學道すれとも、なほこれみつからか兒孫として増長するなり。」とあります。威音王とは威音王佛のことで、『法華経』「常不軽菩薩品」に説かれている過去荘厳阿僧祇劫の最初に出現していた佛で、無量無辺の極遠に喩えられています。
無限の過去において仏道修行に励んだ人々も、自分たちの後輩として仏道修行している人々と同じようなものである。即ち、仏道というのは時代を超えて、いつの時代も同じく変わらないということを言いあらわしたものです。
なお、ここで「みつからか兒孫」とあるのは、『従容録』第76則「首山三句」の本則評唱に見える語句です。

黄蘗為南泉首座。一日占泉座位。泉至問、「首座甚年行道」。蘗云、「威音王佛以前」。泉云、「猶是王老師兒孫。下去」。蘗便退歸本位坐。

黄蘗、南泉の首座と為る。一日、泉の座位を占む。泉、至りて問う、「首座、甚の年に行道するや」。蘗云く、「威音王佛の以前」。泉云く、「猶お是れ王老師の兒孫。下り去れ」と。蘗、便ち退き本位に歸りて坐す。

 

次に「盡十方世界といふは、十方面ともに盡界なり。東西南北四維上下を、十方といふ。」、十方はみな世界である。
「かの表裏縦横の究盡なる時節を思量すへし。」、その裏表と縦横というものを、ことごとく尽した時を考えてみよ。
「思量するといふは、人體はたとひ自他に罣礙せらるといふとも、盡十方なりと諦觀し決定するなり。」、その裏表と縦横というものを、ことごとく尽した時を考えてみよということが、どいう意味かと考えてみると、人体、即ち現実の我々の日常生活において、「自」自分自身と「他」外界の世界という考え方にとらわれるけれども、ここは自分自身も外界の世界も、すべてが尽十方であり、宇宙の中の一部であるというように、明確にとらえ、はっきりと決断することである。これが「表裏縦横の究盡なる時節を思量する」と言ことの意味です。

 

IMG 3653JPG 1「方等なるゆゑに、界等なるゆゑに。人體は四大五蘊なり」、十方面がすべて等しく、我々の世界がすべて等しく、人間の体も四大(地・水・火・風)と五蘊(色・受・想・行・識)で構成されている。
「大塵ともに凡夫の究盡するところにあらす、聖者の参究するところなり。」、大塵とは四大六塵のことで、六塵とは色・声・香・身・触・法のことです。大きい物質である四大と非常に細かい物質である六塵とも、普通の人が究め尽すことのできるものではなく、真実を得た人だけが理解できるものである。

 

次の語句が今回のご提唱にあたって最も重要な箇所になるところです。
「また一塵に十方を諦觀すへし、十方は一塵に嚢括するにあらす。あるひは一塵に僧堂佛殿を建立し、あるひは僧堂佛殿に、盡界を建立せり。」、それからまた非常に細かい物質の中においても、よくよく十方世界があることを、はっきりと明らかにするべきである。小さいながらも宇宙全体と同じような性質を具えていることを明らめるべきである。だがそれは一つの細かい物質の中に、十方世界を押し込めてしまうことではない。十方世界は十方世界として、一塵は一塵として独立している。あくまでも十方世界と一塵とは同じような性質がこめられていると理解すべきである。
そうすれば一塵を学ぶことによって、僧堂・仏殿がいかに建立されたかがわかり、あるいは僧堂・仏殿がいかにして建立されたかがわかれば、全世界がいかにして成るかがわかるのである。
「恁麼の道理、すなはち盡十方界眞實人體なり。」、このような考え方が「尽十方界真実人体」という言葉の意味である。我々の住んでいるこの宇宙は、まさに人間の体と同じものである。宇宙の中でうごめいている人間が何をやるかによって宇宙が決まる。それが「尽十方界真実人体」ということなのです。

 

明石方丈様は、「一塵を学ぶことから全世界を知ることができる」こととして、ある料理人の修行を例にあげて、次のような説明をなされました。
ある料理人が名人の所に弟子入りしたところ、名人からは挨拶と礼儀の仕方だけをしっかりと仕込まれましたが、料理の仕方については全く教えてもらえなかったのです。でも、その料理人は挨拶や礼儀がきちんとしていることから、先輩方から可愛がられ、色々と料理の仕方を教えてもらうことができました。段々と料理の腕も上がり名人の域にまで達するようになりました。
要するに小さなことを疎かにせず、大切に努めてゆくことにより、その道の名人に達することができたということです。まさに『辦道話』の「まことに、一事をこととせざれば一智に達することなし。」の如しです、と明石方丈さまは仰られていました。

 

次に少し進んで、「八萬四千の説法蘊これ轉法輪なるかゆゑに、法輪の轉處は、亙界なり、亙時なり。方域なきにあらす、眞實人體なり。」、尽十方界に満ち溢れている説法の集まりは、いずれも釈尊が説かれたものであるから、説法される場所は「亙界」であり、時は「亙時」である。亙は「わたる」という意味から、「亙界」は尽十方界全体ということであり、「亙時」は無限の時間ということです。ですから説法というものは尽十方界のいたる所で、いつでも行われていることになります。
このように言われると、説法は時間的にも場所的にも限定されず、何時・何処で行われているのかわからないように思われますが、道元禅師はきちんと「方域なきにあらす、眞實人體なり。」と示されています。
方域とは「区切りした範囲。区域」という意味です。従って説法されている場所や時間に区域という限定がないことではないということです。即ち。今、我々がいるこの場所が説法の場所であり、説法の行われている時間であり、それがまさしく真実人体である。まことの人間のありようである、ということです。

 

「いまのなんちいまのわれ、盡十方界眞實人體なる人なり。これらを蹉過することなく學道するなり。」、現時点におけるあなた方、現時点における我々が、まさに尽十方世界なる真実人体なる人間である。そこを間違えないように真実を学んで行くことが仏道修行であると、道元禅師は結ばれています。


今月のお知らせ


IMG 3654JPG 1連日35℃を超える猛暑に見舞われ、日本国中が暑さで疲れきっているように見受けられます。そのせいか坐禅をされている方は若干少ないような気がしました。台風は困りますが、涼しさをもたらす秋風が吹くことを待たれるところです。
施食会も終わり、参禅会の行事も残すところ年末の歳末助け合い托鉢だけとなりました。
年末行事といえばアメリカの大統領選挙があります。果たしてトランプ氏が復活するのか、それともハリス氏がアメリカ初の女性の大統領になるのか、全世界が注目するところです。

 

小畑(二)年番幹事からのお知らせ
・台風の中、施食会のお手伝い有難うございました。
・来月の第四日曜日は秋分の日で、秋のお彼岸法要があるため、定例参禅会は前日の9月21日(土)となります。

 

杉浦『明珠』編集委員長からのお知らせ
・『明珠』82号は12名の方から原稿をいただきました。9月の定例参禅会の時に配布いたします。

 

明石方丈様からのお知らせ
・8月16日の施食会のお手伝いとその前の玄関番など、色々とお世話になりました。有難うございます。
・8月中は作務は中止とします。
・9月22日(日)は自由参禅を行うようご手配をお願いします。

 

今月の司会者 小畑二郎
今月の参加者 14名
来月の司会者 小畑二郎