今月の提唱
『摩訶般若波羅蜜多心經』
觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨。不增不減。是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒。是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。真實不虛。故說般若波羅蜜多咒。即說咒曰。羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。般若心經。
今月の所感
定例参禅会では、『正法眼蔵』について毎月ご提唱をいただいていますが、今月は『摩訶般若波羅蜜多心經』についてのご提唱でした。
『摩訶般若波羅蜜多心經』は通常『般若心経』と略して呼ばれていますが、、お経の中では最もよく読まれており、解説本も多く出版されていますので、一度は手にした方も多いのではないでしょうか。
明石方丈様から、最初に題名についての説明がありました。
摩訶は梵語のMahāを音写したもので大きいという意味です。般若はprajñāの音写で智慧のことです。波羅蜜多はpāramitāを音写したもので彼岸に度すことです。心はhṛdaya、経はsūtraです。中国語に翻訳すると『大智度心経』となります。中観派の龍樹による『摩訶般若波羅蜜経』についての注釈書の漢訳は、確かに『大智度論』と言います。
次に冒頭の「觀自在菩薩」についてのお話がありました。觀自在菩薩とは観世音菩薩のことです。
觀自在は梵語のavalokiteśvaroで、世界を自在に見渡すことのできる(人)の男性・単数・主格です。注釈書の『般若波羅蜜多心經略疏』には、「觀自在菩薩者。是能觀人也。謂於理事無閡之境。觀達自在故立此名。又觀機往救自在。無閡故以為名焉。前釋就智。後釋就悲(觀自在菩薩は。是れ能く人を觀るなり。謂く理事無閡の境に於いて、觀達自在の故に此の名を立つ。また機を觀し往救自在、閡無しの故に以て名と為す。前の釋は智に就き、後の釋は悲に就く)。」との記述されています。
観音さまは、自由自在に、世間の声、大衆の心の叫び、人間の心持を観察されて、我々の身の悶え、心の悩みを救う菩薩なので、梵語のavalokiteśvaroを玄奘三蔵は「観自在」と訳したのです。
さらに『摩訶般若波羅蜜多心經』の本文には、「是大神咒。是大明咒。是無上咒。是無等等咒」という四種の「咒」があります。咒という字は「のろい」とか「のろう」と読まれていますが、ここでは梵語のmantraを意訳したものです。
Mantraとは、真言、密語、明咒、如語、真実語と訳され、思念(man)する器物(tra)の義です。従って咒は、真言と同じ意味をもっているのです。要するにこれは『摩訶般若波羅蜜多心經』は最も優れた仏の真言であるということなのです。
明石方丈様はこの四種の「咒」について、
是大神咒とは、「聞いただけのことを理解する者(声聞)の真言」。
是大明咒とは、「縁起を知って独力で悟る者(縁覚)の真言」。
是無上咒とは、「智慧と慈悲を実践する者(大乗)の真言」
是無等等咒とは、「全ての成仏を説く最奥義の真言」
であると示されました。
最後の一節は、「羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶」です。この一節は梵語から翻訳されず、そのまま原語の音を写しただけです。何故翻訳されなかったのかというと、この一節は秘蔵真言と称して、秘密性が高く訳せば言語のもつ価値を失うとされたからです。でも、そこを何とか、どのような意味なのかを知りたいのが人間です。
中村元さんの(岩波文庫『般若心経・金剛般若経』)では、この部分を
「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。」と、日本語に意訳されています。
この一節を梵語で示すと、「Gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā」となります。
羯諦(gate)とは、「ゆくことにおいて」という意味です。だから羯諦羯諦とは、「ゆくことにおいて、ゆくことにおいて」という意味になります。
では、一体「どこへゆくか」というと、波羅羯諦(pāragate)とあります。波羅(pāra)とは「向こう」という意味です。ですから波羅羯諦は「向こうへゆく」と言ことになります。「向こうへゆく」とは、彼岸の世界にゆくことです。迷いの此岸から悟りの彼岸へ、凡夫の世界から仏の世界へゆくことです。
次の波羅僧羯諦(pārasaṃgate)ですが、僧羯諦(saṃgate)とは到着する、結びつく、一緒になるという意味です。ですから、波羅僧羯諦とは、凡夫が仏の世界に到着して仏と一緒になるということです。
次に菩提薩婆訶(bodhi svāhā)ですが、菩提(bodhi)とは悟りです。薩婆訶(svāhā)は願いの成就を祈って、真言の最後に唱える秘語です。弥栄とも訳されています。
漢訳の『摩訶般若波羅蜜多心經』はここで終りですが、梵語の原点には、この真言の次に、「と説いて、般若波羅蜜多心經を説き終われり」とあるそうです。
ところで『続日本紀』の第21巻に、天平寶字2年(758)の8月に、淳仁天皇が下された詔勅に、
「摩訶般若波羅蜜多は、諸仏の母なり。四句の偈等を受持し読誦すれば、福寿を得ると思量すべからず。之を以て、天子念ずれば、兵革、災難、国裡に入らず。庶入念すれば、疾疫、癘(れい)気(き)、家中に入らず。惑を断ち、祥を獲ること、之に過ぎたるはなし。宜しく、天下諸国につげ、男女老少を論ずることなく、口に閑(しずか)に般若羅蜜多を念誦すべし」と告げられています。
上は天皇から、下は庶民まで、大にしては天下国家のため、小は一身一家のために、『般若心経』一巻を読誦する暇がなければ、せめてこの般若羅蜜多の「呪文」を唱えよという思し召しです。
このように、『般若心経』は非常に功德があり、首尾一貫まとまったお経でありながら、簡潔なお経です。来月の定例参禅会からは、ご提唱の前に『般若心経』を読誦することになりました。『般若心経』を読誦して自分一人だけが仏の世界にゆくのではなく、あくまでも皆ともに仏の世界へゆくことを願う真言です。「我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことをです。
ご提唱の後、本堂と観音堂と雲堂の三班に分かれて大掃除を致しました。
今月のお知らせ
「生死事大、無常迅速」。あっという間に今年最後の定例参禅会となりました。一年間は何と過ぎるのことが速いのでしょう。
5月8日に新型コロナウイルスがインフルエンザと同じ「5類」に引き下げられました。「5類」となり、外国人観光客の数はコロナ前の水準まで戻り、年末には忘年会も復活してきたそうで、徐々にコロナ前の社会に戻って来ました。
コロナ過では大変な苦労を強いられましたが、ITを活用したリモート会議やリモートワークなどが急速に普及し、社会は別の利便性を獲得することもできました。コロナ禍がなければ、これほど急速にこれらのサービスが、普及することはなかったのではないかと、思います。
坐禅会の世界でも、堂頭さんの坐禅をスマホの画面で見ながら坐る、リモート坐禅が普及しました。坐禅は一人でもよいのですが、多くの人が参集して、一緒に坐るところに、張り詰めた一種の緊張感を観じ、身を正すと共に連帯感を持つことにもなるのです。
参禅会はやはり「リアル」でなければ思うのは、歳ばかりのせいではないと思いますが、如何でしょうか。
佐藤年番幹事からのお知らせ
・12月10日(日)の歳末助け合い托鉢には9名の方が参加されました。集まった浄財は朝日新聞厚生文化事業団に全額寄付しました。
・来年の年間行事予定表を作成しました。
・来年の年番幹事は小畑二郎さんと岡本匡房さんです。
・来年度の必要な経費を年番幹事をお知らせください。
・今日、星野さんと竹田さんのお二人が新しく入られました。
小畑代表幹事からのお知らせ
・只管打坐は一回でも20年間の坐禅でも同じです。30年間代表幹事を務めてきましたが、今年で卒業いたします。今後は坐禅堂のお花とお水の取り換えなどを務めさせていただきます。
・乳水の如く和合することが大事です。これからのサンガの育成に活かしてください。
杉浦『明珠』編集委員長からのお知らせ
・『明珠』81号は24頁で「従容録特集」といたしました。「従容録に学ぶ」の一押しの原稿をお待ちしています。12月末までに原稿入稿の意思を表示してください。
明石方丈様からのお知らせ
・小畑代表幹事、30年間のお努め有難うございました。
・歳末助け合い托鉢の参加者は9名でした。ご助力有難うございます。今年は温かい托鉢で助かりました。
・来年の1月と9月の定例参禅会は第四日曜日が龍泉院の行事と重なりますので、前日の土曜日となります。ご注意下さい。
・寺報の『龍泉院だより』80号ができました。お持ち帰り下さい。
今月の司会者 佐藤修平
今月の参加者 17名
来月の司会者
今月の提唱