第39回成道会が令和3年12月5日(日)午前9時から行われました。新型コロナ禍では有りますが、年番幹事さんが事前に換気や消毒などの対策を十分に施して行われました。
まず坐禅堂で二炷の坐禅を行った後、本堂で成道会の法要が催されました。七下鐘が鳴らされ、吉岡さんを先導に、導師の明石方丈さん、侍者の松井さん、侍香の山桐さん一行が本堂に入りました。明石方丈さんが釈尊の成道を讃える拈香法語を述べられ、次いで普同三拝、『般若心経』一巻を全員で諷誦し、維那さんが回向文を読み上げ、再び普同三拝した後、導師一行は退堂して法要は無事円成しました。

 

法要の次は椎名老師との問答が行われました。最初に老師から問答の意義を示す次のような垂示が述べられました。
日本では降誕会や涅槃会などは古来から行われてきましたが、成道会の歴史はなく、鎌倉時代、道元禅師が初めて行いました。成道会の時は必ず商量問答を行い、仏法興隆普及に努めてこられました。我が龍泉院参禅会においては昭和49年12月に第1回の成道会が行われました。今回で39回目の成道会となりますが、これを継続して行くことが大切です。それでは皆様方が日頃思うこと、いかなることでも結構ですから、思う存分問答を仕掛けてください、と問答を促されました。


トップバッターは相澤さんが務められました。
問、「坐禅・作務には菩提・涅槃が巡るのか、如何に」
答、「巡るどころか、菩提・涅槃が満ち溢れています」
さらに以下のような問答が展開されました。
問、「煩悩の種子はどこから来るのでしょうか」
答、「煩悩の種子は外からもたらされるものではなく、中から備わったものであるから、浄化に努めたいものです」
問、「今年、傘壽を迎えますが、今後の生き方をお示し下さい」
答、「別に生まれ変わったような生き方があるわけではありません。従来通り継続すればよいのです」
問、「東堂となられた現在のご心境をお聞かせください」
答、「従来積み重ねてきたものの継続であり、また今後新しいことを始めることは考えていない。継続と整理・整頓に務めます」
問、「山門の脇の大杉が切られましたが、山門の空気は如何でしょうか」
答、「全く変わっておりません」
問、「永平寺とはどういうところでしょうか」
答、「永平寺は私の心の故郷であり、私を救ってくれた大きな要素となっています」
問、「本来無一物、坐禅・辨道は如何」
答、「本来無一物だからこそ坐禅・辨道に励むことが大切です」
等の問答がありました。


東堂老師との問答の後、明石方丈和尚の法話となり、次のようなお話がありました。
本日の法話は「人との出会い」についてです。ここでは人と植物との出会いについてお話したいと思います。
植物の中には人間との出会いがなければ、命をつないで行くことができなかったものがあります。その代表が日本に生育している金木犀です。秋になると甘い香りが印象に残る木ですが、ある本を読みましたら、日本の金木犀は種がないそうです。即ち全て雄株なんです。人間でいえば男性しかいないことになるんです。日本の金木犀は江戸時代に中国からもたらされたのですが、それは雌株だけだったので、花が咲いても花粉を受けて種を作る雌株がないのです。でも日本には金木犀がいっぱいあるわけですが、日本でどのように広まっていったのでしょうか。
答は挿し木です。私達人間が挿し木で人工的に増やしていったのです。つまり金木犀は人間と出会うことで命をつないできた植物だと言うことができます。
次に坐禅堂の前にもあります河津桜についてお話します。河津桜は2月上旬から蕾を付け始め、3月上旬になると鮮やかなピンク色の花を満漢に咲かせます。花の咲いている期間も長く、観賞用の桜として素晴らしいものとなっています。
このような特色のある桜ですが、さぞ苦労して品種改良したように思えますが、そうではないのです。
1955年2月に、伊豆半島の河津川沿いの枯れた雑草の中に芽生えていた一本の苗木の発見が始まりなのです。発見者が苗木を家に持ち帰り、育てて行くこと11年後の1966年11月に下旬から花が咲き始め、やがて一本の木から接ぎ木を繰り返して、各地に広がり、1974年には発見された場所に因んで河津桜と命名されました。
河津桜は古くからある桜のように思われますが、発見からまだ70年弱、命名からまだ48しか経っていないのです。
ここで紹介しました金木犀とか河津桜などの植物の命は、人間との出会いによってつながってきたもので、人間がいなければ、あっという間に滅んでしまったでしょう。植物は自力で生きているというものの、ある意味で他力本願によって命をつなげて行くものもあるのです。
このことから『正法眼蔵』「生死」の巻にある言葉が思い出されます。「ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。」というところがあります。
雄株だけが中国からもたらされた金木犀や雑草の中でポツンと一本だけ芽生えていた河津桜の物語を振り返ってみた時、喩えが強引かもしれませんが、仏を人間に入れ換えて、全てを人間の家に投げ入れたこそ、人間の働きによって命をつないで行くことができたとも言えます。
出会いが大切なのは植物だけではありません。人間もかわりがありません。コロナ禍で行動が制限され希薄になりがちですが、出会いを大切にして行きたいものです。なお、今回のお話は中公新書の『植物の命』を参考にしました。