今月の提唱

『正法眼藏』「身心學道」の巻(5)

IMG 3586JPG 1發菩提心の正當恁麼時には、法界ことことく發菩提心なり。依を轉するに相似なりといへとも、依にしらるるにあらす。共出一隻手なり、自出一隻手なり、異類中行なり。地獄、餓鬼、畜生、修羅等のなかにしても發菩提心するなり。
 赤心片片といふは、片片なるはみな赤心なり。一片兩片にあらす、片片なるなり。荷葉團團團似鏡、裏角尖尖尖似錐。かかみににたりといふとも片片なり、錐ににたりといふとも片片なり。
 古佛心といふは、むかし僧ありて大證国師にとふ、いかにあらんかこれ古佛心。ときに国師いはく、牆壁瓦礫。
 しかあれはしるへし、古佛心は、牆壁瓦礫にあらす、牆壁瓦礫を古佛心といふにあらす。古佛心、それかくのことく學するなり。
 平常心といふは、此界他界といはす、平常心なり。昔日はこのところよりさり、今日はこのところよりきたる。さるときは漫天さり、きたるときは盡地きたる、これ平常心なり。平常心この屋裡に開閉す、千門萬戸、一時開閉なるゆゑに平常なり。いまこの蓋天蓋地は、おほえさることはのことし、噴地の一聲のことし。語等なり、心等なり、法等なり。壽行生滅の刹那に生滅するあれとも、最後身よりさきはかつてしらす。しらされとも、發心すれはかならす菩提の道にすすむなり。すてにこのところあり、さらにあやしむへきにあらす。すてにあやしむことあり、すなはち平常なり。

今月の所感

IMG 3590JPG 1今回は先回に引き続いて発菩提心についての拈提です。
「發菩提心の正當恁麼時には、法界ことことく發菩提心なり」、発菩提心が正に生じた時には、世界はことごとく発菩提心となるということです。そうすると心がこの世界を変えるように思われますが、しかし、「依を轉するに相似なりといへとも、依にしらるるにあらす」、とあります。
ここで依とは「依正二報」の依で、依報のことです。正報とは過去の業によって受けた身体のことで、依報とはこの身体の依りどころとなるところです。即ち、我々が住む世界のことです。発菩提心によって世界が転ずるように思われますが、そのことを世界は知らないし、関わりの無いことだということです。先回の最後にも「たたまさに時節とともに發菩提心するなり、依にかかはれさるかゆゑに」、とありました。
では、依と正は全く関係ないかといえば、そうではなくて、「共出一隻手なり、自出一隻手なり」とあり、依と正が共に菩提心という一本の手を差し出し握手しているというのです。また依と正は自発的に手を差し出して握手しているのです。つまり人境一如ということなのです。
明石方丈様は「共出一隻手」とは、人と環境とが片手を出して相携えて出ることであり、「自出一隻」とは、人と環境のどちらかが、もう一方を助けけて出ることであると解説されていました。

 

次に赤心についての拈提に移ります。
赤心とはまごころのことです。赤心片片とは、慈悲のはなはだしいことを指す言葉です。
最初に「赤心片片といふは、片片なるはみな赤心なり」とあります。片片はことごとく赤心そのものであるというのです。
明石方丈様は片片とは一つ一つの独立した体験のことであると解説されていました。即ち、遍界曽て蔵さざるのまごころは、一つ一つの体験の中に現れているということになります。

 

次は古仏心の拈提に移ります。
「古佛心といふは、むかし僧ありて大證国師にとふ、いかにあらんかこれ古佛心。ときに国師いはく、牆壁瓦礫」。
これは『正法眼蔵』「古佛心」の巻にも見える言葉です。大證国師とは、南陽慧忠国師(?~775)のことで、行思・懐譲・神会・玄覚とともに六祖慧能門下の五大宗匠に数えられる人です。南陽(河南省南陽市)の白崖山に入り、時の皇帝に請われて都に移るまで、40年間も山を下りませんでした。
慧忠国師には「古仏心は牆壁瓦礫」の外に、「無情説法」という有名な言葉があります。椎名老師の『洞山』(臨川書店)によれば、慧忠国師の「無情説法」は、洞山禅師にとって「永らく心にかかるテーマであった」と記されています。洞山禅師と慧忠国師の故郷は同じ諸曁県(浙江省)なので、洞山は幼い頃から「無情説法」について聞いていたものの、その深意については理解できませんでした。後に潙山霊祐のすすめで雲巖曇晟に参じ、雲巖との「無情説法」の問答により、永年の疑点が消え去ることがでたということです。

 

IMG 3578JPG 1次に、「しかあれはしるへし、古佛心は、牆壁瓦礫にあらす、牆壁瓦礫を古佛心といふにあらす。古佛心、それかくのことく學するなり」とあります。道元禅師は慧忠国師の「古仏心は牆壁瓦礫」という言葉をいったん否定されています。さて、これはどう受け止めたらよいのでしょうか。
明石方丈様は、この道元禅師の言葉は、「やってみた体験を深く掘り下げなさい」ということであり、「悟後の修行を重視」した言葉であると解説されていました。

 

私はここで鈴木大拙の「即非の論理」を思い出しました。
「即非の論理」は公式的には「AはAだというのは、AはAではない、故にAはAである」となります。
A即非Aというパターンは禅問答でよく見かけるところです。例えば「心は非心なり、是を心と謂う」と。心は肯定、非心は否定。心と非心との対立は、肯定と否定の対立です。このような対立がそのままで「心である」。併し「心」は心と非心の対立する時の心とは同義ではありません。文字は同じですが、その意味するとことは深いのです。即ち心と非心とを包んだ心と見ることができるのです。

 

慧忠国師が「古仏心は牆壁瓦礫」と言ったから、何の計らいもなく受け取るのではなく、一旦、「古仏心は牆壁瓦礫にあらず」と慧忠国師の言葉を否定して、古仏心と牆壁瓦礫とは同じものではない、垣根とか、壁とか、瓦とか、小石とか、そういうものに「古仏心」という名前を付けたわけではない、と受け止めてみるのです。その上で、改めて垣根や壁や瓦や小石を参究し、これらの発する説法を聞くことができれば、牆壁瓦礫が古仏心であることを認識することができるのではないでしょうか。それは明石方丈様が述べられた悟後の修行ということにもなるのではないでしょうか。

 

次に平常心についての拈提に移ります。
最初に、「平常心といふは、此界他界といはす、平常心なり」とあります。此界とは今我々が住んでいる世界、他界とは我々が住んでいる以外の世界です。我々が住んでいる世界とは、坐禅している雲堂であり、それは柏市の中にあり、それは千葉県の中にあり、それは日本国の中にあり、それは地球の上で坐っており、太陽系の中で坐っているとも言えるのです。だから「此界他界といはす、平常心なり」とは、色々の世界を乗りこえたごくあたりまえの心境が「平常心」であるということなのでしょう。

 

次に、「昔日はこのところよりさり、今日はこのところよりきたる」。昨日もごくあたりまえの心境であったし、今日もごくあたりまえの心境である。

 

次に、「さるときは漫天さり、きたるときは盡地きたる、これ平常心なり」。一瞬に一切のものが消えて行き、一瞬に一切のものが現れる、という世界に我々は住んでいる。一瞬の間に生まれては消え、生まれては消える生活の中で持っている心境が「平常心」だということです。

 

IMG 3585JPG 1「千門萬戸、一時開閉なるゆゑに平常なり」。千戸萬戸の門は開いたり閉じたりしている。即ち、さまざまに人や環境が開いたり閉じたりする世界にあって、我々の心境はきわめて普通の状態にあるのが平常心なのである。

 

「いまこの蓋天蓋地は、おほえさることはのことし、噴地の一聲のことし」。噴地の一聲とは「くしゃみの一声」という意味だそうです。今、「蓋天蓋地」と言うと、なんだか突然出た「くしゃみの一声」のような、思いがけない言葉であるが、言葉と言えば言葉であるし、心といえば心であるし、法といえば法である。

 

しかし、「壽行生滅の刹那に生滅するあれとも、最後身よりさきはかつてしらす」、生きている身体は刹那刹那にうつり変わっているので、彌勒のように次の仏となる最高位の菩薩でなければ、この「くしゃみの一声」は判らないのである。

 

でも「しらされとも、發心すれはかならす菩提の道にすすむなり」、判らないけれども、発心すればかならずさとりへの道につくことができるのである。

 

「すてにこのところあり、さらにあやしむへきにあらす」、すでに生きているこの事実があるのだから、さとりにいたるであろうことは怪しむべきではない。

 

「すてにあやしむことあり、すなはち平常なり」、とは言っても、現に怪しむ気持ちは起こって来るが、それがとりもなおさず、平常心の自然の働きなのである。

 

以上で「心学道」についての拈提は終わりました。とらえどころのない「心」について、道元禅師は色々な「心」に例えて具体的にしかも懇切丁寧に拈提されていました。次回からは「身学道」の拈提に移ります。

 

今月のお知らせ

IMG 3588JPG 1・明石方丈様が「最近、鳥の鳴き声が聞こえませんね」と話されました。確かに今頃は、盛んにウグイスの鳴き声が聞こえたものですが、ウグイスは一体どこに行ってしまったのでしょうか。
・今月は新しい方が三人お見えになられました。新しい方を指導された川本さんはご苦労様でした。お三方が続けてご参加されることを切に望むところです。
・6月2日(日)に一日接心が予定されています。なるべく多くの方のご参加をお待ちしています。

 

小畑(二)年番幹事からのお知らせ

・一日接心の参加予定者は13名です。当日の受付は7時50分からです。坐禅は4炷、講義は2回、行茶・茶話会、中食はお弁当を用意します。参加費は1500円です。解散は16時40分を予定しています。

 

杉浦『明珠』編集委員長からのお知らせ

・『明珠』82号の原稿を募集しています。テーマは「私と作務」です。600〜700字でお願いします。

 

明石方丈様からのお知らせ

・堂頭が雲堂に入る5分前には坐っているようにしてください。
・一日接心での『普勧坐禅儀』の諷誦は四炷目の時に、通しで行います。
・一日接心での講義は、私のこれまでの歩みについてお話します。
・椎名老師と奥様が先日来山されました。お二人ともお元気そうでした。
・これから暑くなってきますので、健康にはご留意ください。

 

今月の司会者 小畑二郎
今月の参加者 20名
来月の司会者 小畑二郎