今月の提唱

『正法眼藏』「徧參」の巻(2)

IMG 3272JPG 1入畫看よりこのかた六十五百千萬億の轉身徧参す。等閑の入一叢林出一叢林を徧参とするにあらす。全眼睛の参見を徧参とす。打得徹を徧参とす。面皮厚多少を見徹する、すなはち徧参なり。
雪峰道の徧参の宗旨、もとより出嶺をすすむるにあらす、北往南来をすすむるにあらす。玄沙道の達磨不来東土、二祖不往西天の徧参を助發するなり、たとへはなんそ徧参にあらさらんといはんかことし。
玄沙道の達磨不来東土は、来而不来の乱道にあらす、大地無寸土の道理なり。いはゆる達磨は、命脈一尖なり。たとひ東土の全土たちまちに極涌して、参侍すとも轉身にあらす。さらに語脈の翻身にあらす。不来東土なるゆゑに、東土に見面するなり。東土たとひ佛面祖面相見すとも来東土にあらす、拈得佛祖失却鼻孔なり。
おほよそ土は東西にあらす、東西は土にかかはれす。二祖不往西天は、西天を徧参するには、不往西天なり。二祖もし西天にゆかは、一臂落了也。しはらく二祖なにとしてか西天にゆかさる。いはゆる碧眼の眼睛裏に跳入するゆゑに、不往西天なり。もし碧眼裏に跳入せすは、必定して西天にゆくへし。抉出達磨眼睛を徧参とす。西天にゆき東土にきたる、徧参にあらす。天台南嶽にいたり、五台上天にゆくをもて、徧参とするにあらす。四海五湖、もし透脱せさらんは、徧参にあらす。四海五湖に往来するは、四海五湖をして徧参せしめす、路頭を滑ならしむ、脚下を滑ならしむ、ゆゑに徧参を打失せしむ。

おほよそ盡十方界、是箇眞實人體の参徹を徧参とするゆゑに、達磨不来東土、二祖不往西天の参究あるなり。徧参は石頭大底大、石頭小底小なり。石頭を動著せしめす大参小参ならしむるなり。百千萬箇を百千萬頭に参見するは、いまた徧参にあらす。半語脈裏に百千萬轉身なるを徧参とす。たとへは打地唯打地は徧参なり。一番打地、一番打空、一番打四方八面来は、徧参にあらす。

今月の所感

霜柱今月の「徧參」の巻のご提唱は、玄沙が雪峰に「備頭陀、何不徧參去」と問われた時に、「達磨不來東土、二祖不往西天」と答えたことについて、道元禅師が詳しく拈提されているところです。
まず、「達磨不來東土」についてですが、実際には達磨大師は中国に来られています。それを玄沙は達磨が中国には来なかったと言ったのです。「達磨不來東土」について道元禅師は、この言葉は達磨が来るとか来なかったというような乱暴な言葉ではない。仏法上、大地を語る時には、単なる空間として客観的に存在するものではないという道理から、インドも中国も一切が仏国土となすので、達磨は中国に来なかったという表現になるのだと述べられています。
また達磨とは、仏法上、いのちの尖端である。だから中国全土が極めつくして涌きあがり、達磨にかしずいたからとて、達磨自身が方向転換して中国に来ないわけでもない。さらに単に言葉の上だけでの方向転換でもない。
でも中国に来なかったということで、現実に中国と直面することになるのであり、中国がたとい仏祖の面を見たからと言って、達磨が中国に来たことにはならない。仏祖を捉まえようすれば、その急処を見失ってしまうことになると述べられています。即ち、インドも中国もいたる所、達磨の世界であり、ここだけが達磨の世界というものはない、ということだと思います。
次に玄沙の「二祖不往西天」についての道元禅師の拈提が始まります。
まず、大地には西も東もないと述べられています。これは先の「大地無寸土の道理」から来るものでしょう。
また、二祖慧可がインドで行脚したとしても、やはり二祖はインドには往かなかった。二祖がインドに往ったならば片手落ちになる(二祖が雪の中に立って、自分の左臂を切り落として求道の決意のほどを示し、それによって教えを授けられたという故事に掛けているのかもしれません)。
ではどうして二祖はインドに往かなかったかというと、それは二祖が達磨の碧い眼の中に飛び込んで、達磨と一体になったからである。もし二祖が達磨の碧い眼の中に飛び込むことができなかったら、二祖は必ずインドに往ったことだろう。
つまり達磨の眼球をえぐり出し、達磨と一体となることが、二祖の徧參であったと、道元禅師は述べられています。このようなわけで、二祖がインドに往ったり、達磨が中国に来ることを徧參というのではないと、道元禅師は締めくくられています。
このような考えから、「天台南嶽にいたり、五台上天にゆくをもて、徧参とするにあらす。」となるのです。さらに四海五湖(中国全土のこと)を突き抜けてしまわなければ、徧參したことにはならない、中国の各地を往来している間は、まだ中国全土を徧參したことにはならない、それは只だ、路を滑らかにし、足もとを滑らかにしているに過ぎない。こんなことをしている内に、徧參のことをどこかに見失ってしまうと、道元さんは述べられています。
それにしても雲水の行脚を、ただ路を滑らかにしているに過ぎないとは、なんと酷な言い方でしょう。善知識を求めて険しい山道を踏破している雲水さんが聞いたら、何と言うでしょうか・・・・。
結局、道元禅師にとっての徧參とは、玄沙の「盡十方界、是箇眞實人體(十方世界のことごとくが、それが一箇の真実の人体)」を徹底的に学びつくすことなのです。そして、その延長線上に、「達磨不來東土、二祖不往西天」の参究があるのです。
道元禅師は、あちらこちらの善知識を訪れるのを徧參と言わないことを、次のような例で説明しています。
大きな石は大きいままに、小さい石は小さいままに、石を動かさずに、そのままに、大は大の真実を、小は小の真実を修行の上で見極めることが徧參であって、百千万回足を運んで、百千万人の善知識を訪ねて、教えを請うことが徧參ではないではない。また、地を打つ時は、ただ地を打つ、それが徧參であると。
ひとつ地を打つも、つぎは空を打つ、さらには四方八方を打つというのでは、徧參と言わない。わずかな言葉の中にも、百千万の個々があり、その一つ一つに徹し切ることが徧參であると。
その徹し切った例として、倶胝和尚の一指をあげられていますが、それは来月のお楽しみに。

杉浦さんからのお知らせ

IMG 3276JPG 1・大掃除は本堂と大悲殿と坐禅堂の3か所に分かれて行います。本堂と大悲殿は特に汚れのひどい窓の外の桟とすりガラスを拭いてください。

五十嵐年番幹事からのお知らせ

・「口宣」の編集担当者を求めています。今は登森さん一人ですので、もう一人担当される方が必要となっています。
・洞山良价禅師千百五十回遠忌にかかる費用は小畑代表がほとんどご負担してくだしましたので、参禅会の負担は僅かな金額でした。さらにお祝い金をご老師を始め多くの方々から頂きましたので、参禅会の財政は大幅に改善いたしました。

小畑代表からのお知らせ

・来年の年番幹事は佐藤さんに決まりましが、もう一人幹事を決めなければなりません。つきましては一月だけの担当を山桐さんにお願いしました。

明石方丈さんからのお知らせ

・今年の漢字は「戦」でしたが、日本は古来より「和」をもって貴しとする国です。ですので来年は日本をふくめ世界中が平和であって欲しいと思います。
・「龍泉院だより」にも記載しましたが、健康を損なうのは「恚(怒)」です。アンガーマネジメントによると、怒りは6秒間我慢すれば我に返り抑える事が可能と言われてますので、怒り心頭に達した時は、西有禅師の真言「おんにこにこ はらたつまいぞ そはか」を6秒間お唱えして怒りをやり過ごし、身体と心の健康を保ちましょう。

椎名東堂老師からのお知らせ

・今年はコロナ禍で参禅会の運営が難しいところ、見事に参禅会50周年の記念行事をやり遂げて下さいました。感謝申し上げます。
・老々の身となりましたので、来年からは坐禅堂での進退は明石住職にお願いしたいと思います。「口宣」と『正法眼蔵』の提唱についても明石住職と相談いたします。

 

今月の司会者 松井 隆
今月の参加者 17名
来月の司会者 未定