今月の提唱

『正法眼藏』「春秋」の巻(4)
                               いま僧問山示の因縁、あなかちに垂手不垂手にあらす、出世不出世にあらす。いはんや偏正の道をもちゐんや。偏正の眼をもちゐされは、この因縁に下手のところなきかことし。参請の巴鼻なきかことくなるは、高祖の邊域にいたらす、佛法の大家を覷見せさるによれり。さらに草鞋を枯来して参請すへし。みたりに高祖の佛法は、正偏等の五位なるへしといふことやみね。

東京天寧長靈禅師守卓和尚云、偏中有正正中偏、流落人間千百年。幾度欲帰帰未得、門前依舊草芊芊。
これもあなかちに偏正と道取すといへとも、しかも枯来せり。枯来はなきにあらす、いかならんかこれ偏中有。
潭州大潙佛性和尚<嗣圜悟諱法泰>云、無寒暑処為君通、枯木生華又一重。堪笑刻舟求劒者、至今猶在冷灰中。
この道取、いささか公案踏著戴著の力量あり。
泐潭湛堂文準禅師曰、熱時熱殺寒時寒、寒暑由来總不干。行盡天涯諳世事、老君頭戴猪皮冠。
しはらくとふへし、作麼生ならんかこれ不干底道理。運道速道。
湖州、何山、佛燈禅師<嗣大平佛鑑慧懃禅師諱守珣和尚>云、無寒暑処洞山道、多少禅人迷処所。寒時向火熱乗冷、一生免得避寒暑。
この珣師は、五祖法演禅師の法孫といへとも、小兒子の言語のことし。しかあれとも一生免得避寒暑、のちに老大の成風ありぬへし。いはく一生とは盡生なり、避寒暑は脱落身心なり。
おほよそ諸方の諸代、かくのことく鼓兩片皮をこととして、頌古を供達すといへとも、いまた高祖洞山の邊事を覷見せす。いかんとならは、佛祖の家常には、寒暑いかなるへしともしらさるによりて、いたつらに乗冷向火とらいふ。ことにあはれむへし、なんち老尊宿のほとりにして、なにを寒暑といふとか聞取せし。かなしむへし祖師道廢せることを。この寒暑の形段をしり、寒暑の時節を経歴し、寒暑を使得しきたりて、さらに高祖為示の道を頌古すへし、拈古すへし。いまたしかあらさらんは知非にはしかし。俗なほ日月をしり、萬物を保任するに、聖人賢者のしなしなあり。君子と愚夫とのしなしなあり。佛道の寒暑、なほ愚夫の寒暑と、ひとしかるへしと錯會することなかれ。直須勤畢すへし。
正法眼蔵 春秋
爾時寛元二年甲辰、在越宇山奥、再示衆、逢佛事而轉佛麟経、祖師道、衆角雖多一麟足矣、

 

今月の所感
                               小生の都合により5月の定例参禅会の報告はお休みしました。従って5月にご提唱された「春秋」の巻の箇所も併せて今月分に掲載しました。
今月で「春秋」の巻のご提唱が終わりました。春秋とは春と秋と、季節を代表する言葉ですが、ここでは春は暑、秋は寒を代表しています。洞山良价禅師の無寒暑の公案について拈提されている巻のことです。
今月は東京の天寧長靈禅師守卓和尚の偈頌についての拈提からです。長霊守卓(1065~1123)は臨済宗黄龍派で、泉州(福建省)の人です。俗姓は荘氏、京師の大清寺で得度し、靈源惟清に参じ、その法を嗣ぎ、佛鑑慧懃のもとで第一座を勤む。舒州(安徽省)甘露禅院を開堂し、盧州(安徽省)能仁資福禅院をへて、東京(河南省)の天寧禅院に住しました。『長靈和尚語録』一巻と『長靈和尚語要』一巻があります。
守卓和尚の偈頌も偏正五位によって無寒暑の公案を無理矢理に表現し、偏正五位で辻褄を合わせている。辻褄があったとしても、いったい、偏の中に正が有り、正の中に偏が有るというのはどいうことだと、道元禅師は五位による無寒暑の公案の解釈をキッパリと切り捨てています。
次は潭州大潙佛性和尚の偈頌についての拈提です。大潙佛性和尚即ち佛性法泰(生没年不詳)は宋代の人で臨済宗楊岐派。漢州(四川省)の人。俗姓は李氏、受具の後、五祖法演の機に契い、さらに圜悟克勤の許で大法を明む。鼑州(湖南省)徳山に出世し、邵州(湖南省)西湖や潭州(湖南省)の谷山・道吾山を経て、大潙山に勅住する。佛性禅師と賜号される。
佛性法泰の偈頌には道元禅師はいささか賛辞を与えていますが、その偈頌は難解です。
まず「無寒暑処為君通」は、ある僧が洞山に寒暑到来の時にはどうすればよいのかと問うと、洞山は無寒暑の処に行けばよいと教えたことです。ついで、「枯木生華又一重」は、無寒暑の枯木に無寒暑の花が咲いたようなものだという意味です。これは僧が無寒暑はどんな処かという問いにも、あえて洞山は言葉を重ねたことを表しています。「堪笑刻舟求劒者、至今猶在冷灰中」とは、それなのに、なお寒暑がどうの、無寒暑がどうのと言うのは、舟から水中に剣を落とした際、舟に落としたところを刻んで印をつけ、水中に落とした剣を探そうとするような愚かなことではないか。まだ枯木寒厳のような小乗根性に捉われているのか、というのです。
道元禅師は佛性法泰の偈頌を「公案踏著戴著の力量あり」と評価しています。つまり無寒暑の公案を自由自在に参究した力量があると言っています。ただ佛性法泰の偈頌を真に認めたものではないと思います。
次は泐潭湛堂文準禅師の偈頌です。湛堂文準(1061~1115)は、臨済宗黄龍派の人。俗姓は梁氏。興元府(陝西省)の出身。8歳で出家し、成都(四川省)で受具し、潙山の真如慕喆に参じたが契わず、泐潭にて真浄克文に学び法を嗣ぐ。豫章(江西省)の太守李景直の請で雲巖時を開法し、間もなく隆興府(江西省)泐潭宝峰寺に還る。『湛堂和尚語要』一巻がある。
湛堂文準の偈頌では「寒暑由来總不干」とあり、暑さ寒さにかかわることなしと頌していますが、道元禅師はいったいすべてかかわることなしとは、どいうことじゃ。さあ、言ってみろ、言ってみろと湛堂文準に迫っています。
次は湖州何山佛燈禅師の偈頌です。何山佛燈禅師とは何山守珣(1080~1134)。佛鑑慧懃の法嗣です。
何山守珣の偈頌では、寒ければ火に当たり、暑ければ涼み、一生寒さも暑さも免れてきたわいと詠じています。道元禅師によれば、守珣の頌はまるで子供の言うことのようであると酷評されています。しかし、一生寒さも暑さも免れた時には、きっと老成の風格があったに違いない。また、寒さ暑さを免れたというのは、身心脱落したことに違いあるまいと、評価しているところもあります。
これからはいよいよ「春秋」の巻のむすびに入って行きます。道元禅師はこれまで諸方の代々の方々が示された無寒暑の公案に対する偈頌などは、「寒ければ火にあたり、暑ければ涼み」など、子供のようなことを言っており、聞くに堪えない。このままでは仏道が廃れてしまうと嘆いておられます。
そこで願わくは「この寒暑の形段をしり、寒暑の時節を経歴し、寒暑を使得しきたりて、さらに高祖為示の道を頌古すへし、拈古すへし。」と示されています。この寒とは生命全体の真実、この暑も生命全体の真実です。そのような寒暑の意味する様子をよく知り、この寒暑の時期を体験し、さらに寒暑を自由にもちいきたって、そこでもう一度、高祖洞山良价禅師の示された言葉を称え、またそれを取りあげて語るべきである、と道元禅師は言われています。
「春秋」の巻が大衆に示されたのは寛元2年(1244)と見えますが、そこには月日が記されていません。寒い時節か暑い時節か分かりませんが、「春秋」の巻を読み直している今、令和4年6月28日は、気温が6月で過去最高を示し、梅雨明けも過去最速であると報じられています。
6月末なのに電力が逼迫し、初の注意報が発令され、節電の要請がなされる酷暑の中、エアコンの効いた部屋で、「春秋」の巻の報告を作成しています。しかし、これでは道元禅師から、お前のしていることは「いたつらに乗冷向火とらいふ」と叱責されることでしょう。まさに「直須勤畢すへし」です。

 

杉浦50周年記念行事実行委員からのお知らせ
                               ・「龍泉院参禅会50周年記念行事実施案内」と「第5回在家得度式実施のご案内」をお配りします。洞山良价禅師1150回遠忌の記念講演の時間は13:00~14:30に、対談は14:40~15:30に訂正してください。また対談の会場は本堂に訂正してください。
・第5回在家得度式の受付締め切りは、7月の定例参禅会とします。
・山門の横に立っていた大木を伐採した一部を、小林さんと辰巳さんが加工し、置物「本多喬杉銘」として本堂に飾ってあります。今回、大木の由来を牧野さんが揮毫されましたのでご覧ください。


五十嵐年番幹事からのお知らせ
・昨年の秋以降、龍泉院HPはセキュリティの脆弱性により中断されていましたが、先週末より新しいHPが公開されました。ご覧いただき、ご意見やご要望がありましたら、五十嵐までお知らせください。なお、HPには『明珠』と『口宣』がすべて掲載されています。


小畑代表幹事からのお知らせ
・得度を受けるには坐禅歴の長い短いは関係ありません。得度を受けた方には、ご老師が描かれた円相の入った色紙をお渡しいたします。


明石方丈和尚からのお知らせ
・私は参禅して三週間目に得度しました。得度には初発心が重要です。初発心を持続して行くことが重要なので、坐禅歴が短くても在家得度を受けて下さい。


椎名東堂老師からのお知らせ
・龍泉院参禅会は昭和46年7月25日に発足しました。その時、高間利介さんは家族と一緒に参加者されました。それ以降、高間さんは物心両面で参禅会を支えてくださいました。昨日、高間利介さんの27回忌を行いましたが、今後、参禅会に尽くし亡くなられた方々の追善法要があってもよいのではないかと思います。
・記念講演会では参加された方に『石頭』(石井修道著)と『洞山』(椎名宏雄著)をそれぞれ20冊用意したします。

 

今月の司会者 松井 隆
今月の参加者 17名
来月の司会者 松井 隆