
彼岸も中日を越すと一段と陽気が増し、名実ともにようやく春がやって来たことを実感させられます。早咲きの河津桜はすでに葉桜となってしまいましたが、寒緋桜や木蓮、トサミズキやボケの花は今が盛りと言わんばかりに咲き誇っています。これであと、本堂の裏手に林立するスギの花粉が収束すれば、全身で春を体感できるのに‥‥それはまだ少し先のことになるかもしれません。

とは言え、肩をすぼめる寒さから解放され、好坐禅の季節がやって来たのは間違いなく、本日はその春の訪れに感謝しながら雲堂にて坐禅をさせていただきました。
坐禅後は、本日で15回目となる『禮拜得髄』の巻の講義が行われました。今回の内容は、「錯乱のはなはだしき小国」の「あわれむべき」処遇や事柄について述べた箇所の講義で、方丈はそれを踏まえ「理不尽さとどう向き合うか」についての話しをされました。講義では、ギリシャのストア派哲学者エピクテトスの言葉を参考に、世の中の現象や身のまわりの出来事について、「自分に都合のいい判断・解釈」することの危うさについて述べられました。この「自分に都合のいい判断・解釈」こそが、『自己欺瞞(自分で自分の心を欺くこと)』につながり、そこに先入観や偏見が入り込むと、やがてあなた自身が「理不尽をする側」になってしまうんだということを話されました。そしてそうならないためには、他人の評価や世間の流行に一喜一憂しないことが重要で、また自らを省みることが大切であるとも話されました。最後に、随聞記にある『こころに願い求むること無ければすなわち大安楽なり』という言葉を引用し、−こころに願い求むる(自分自身に対して「ああ見られたい」「こう思われたい」、そのために「あれをしてこれをしないといけない」)−というような、周囲の状況に反応してしまう受動的な欲望から抜け出すことが重要であると話され、それにとらわれ続けている限り人の心は休まることが無いんだと述べ講義を締めくくられました。
講義後は、茶話会を行い、参禅会の会報『明珠』(85号)の完成報告と連絡事項等を伝達した後、散会となりました。


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