「今月の講義を聴いての感想」
参禅会 五十嵐嗣郎
今月の提唱
『正法眼藏』「身心學道」の巻(10)
圜悟禅師曰、生也全機現、死也全機現、逼塞太虚空、赤心常片片。
この道著、しつかに功夫點撿すへし。圜悟禅師かつて恁麼いふといへとも、なほいまた生死の全機にあまれることをしらす。去来を参學するに、去に生死あり、来に生死あり、生に去来あり、死に去来あり。去来は盡十方界を兩翼三翼として、飛去飛来し、盡十方界を三足五足として、進歩退歩するなり。生死を頭尾として盡十方界眞實人體は、よく翻身回脳するなり。翻身回脳するに、如一錢大なり、似微塵裡なり。平坦坦地、それ壁立千仞なり。壁立千仞処、それ平坦坦地なり。このゆゑに南洲北洲の面目あり、これを撿して學道す。非想非非想の骨髄あり、これを抗して學道するのみなり。
正法眼蔵 身心學道
爾時仁治三年壬寅重陽日、在于寶林寺示衆。
今月の所感
今月のご提唱では最初に、前回の「生は一枚にあらす、死は兩匹にあらす。死の生に相對するなし、生の死に相待するなし。」を受けて、圜悟克勤禅師の有名な語句「生也全機現、死也全機現、逼塞太虚空、赤心常片片。」が取り上げられています。
この「生也全機現、死也全機現」については、椎名老師が令和元年五月の『口宣』で、「生きるときは全力投球、死ぬときも全力投球、全て命の働きという意味です。」と仰られています。
その命の働きというのは「逼塞太虚空」、この宇宙に行きわたっており、「赤心常片片」、その命の働きの真心はこまごまと行き届いいているのである。この圜悟禅師の言葉の意味を静かに考えて、細かく検討すべきであると道元禅師は指摘されています。
「圜悟禅師かつて恁麼いふといへとも、なほいまた生死の全機にあまれることをしらす」。
かつて圜悟禅師はこのように言われたけれども、生き死に、即ち日常生活には、自由無礙な大活動というものをさらに乗り越えた大きな意味があるということを、圜悟禅師は気づかれていない、と述べられています。道元禅師は生き死に、即ち日常生活には、全機というものを包み込んで、さらにそれよりも広いものであると示されているのです。
だから「去来を参學するに、去に生死あり、来に生死あり」。
我々の日常生活を考えてみると、過ぎ去って行くような事実の中にも、日常生活があり、また新しく現われてくる事実の中にも、日常生活がある。
また「生に去来あり、死に去来あり」。
生きるということにも、現れては去って行くものがあり、死ということにも、現れて去って行くものがある。
従って「去来は盡十方界を兩翼三翼として、飛去飛来し、盡十方界を三足五足として、進歩退歩するなり」。
我々の日常生活というものは、ありとあらゆる世界を二枚の翼・三枚の翼に作り変えて、飛び去り飛び来っている事態であり、ありとあらゆる世界を三本の足・五本の足に作り変えて、ある場合は進み、ある場合は退くという事態である。即ち、我々日常生活ではありとあらゆる世界を自分の翼として大空を駆け巡り、あるいは自分の足として進んだり退いたりという動作をしているのであると、道元禅師は述べられています。日常生活を動かしているもののスケールが段違いに大きいことに驚きです。
「生死を頭尾として盡十方界眞實人體は、よく翻身回脳するなり」。
日常生活の初めの状態でも、一番最後の状態でも、ありとあらゆる世界において、自己本来の面目が十全に活現している境界では、身を持して学道し、頭を廻らして学道すべきである。
「翻身回脳するに、如一錢大なり、似微塵裡なり」。
それは一銭玉の大きさの如くであり、細かい塵の中にあるが如くである。
「平坦坦地、それ壁立千仞なり」。
我々の日常生活の中において、極めて平穏で何の問題もないような場面というものがあるけれども、同時に、その平穏な状態が実は壁立千仞という、どうしても乗り越えられないような場合もある。
逆に「壁立千仞処、それ平坦坦地なり」。
通過できないような壁立千仞でも、実は平々坦々とした、何の苦もなく通過できる場合もある。
このように、日常生活において非常に厳しいと思い込んでいることが、実は非常に平穏なことであったり、非常に平穏なことだと思い込んでいることが、実は非常に厳しいことであったりすることは、良く経験することですね。
「このゆゑに南洲北洲の面目あり、これを撿して學道す」。
その故に、我々人間が住む須弥山の南閻浮提と寿命千年の衆生が住む北倶盧州という土地の違いはあるけれども、その違いというものを点検して、真実を学んで行くべきである。
「非想非非想の骨髄あり、これを抗して學道するのみなり」。
またそれでこそ、この身心をもって無色界の最高の修行も行えることになるのであると、道元禅師は締めくくられています。
今年一月から始まった「身心学道」のご提唱は今月で終了です。「身心学道」とは「身学道」と「心学道」との二つに分けて学道することでした。
「心学道」においては「山河大地・日月星辰、これ心なり」について究尽することが、「身学道」では「盡十方界眞實人體」あるいは「生死去来眞實人體」を究尽することが課題となっていました。
明石方丈様は「心学道」とは、世の中の森羅万象の気づきを観ずる事であり、「身学道」とは、その気づきを発展させてゆく事であると結ばれていました。なお、『明珠』82号には、明石方丈様の「身心学道」に関する『心もて学し、身をもて学す』と題した寄稿文が掲載されています。併せてお読みください。
今月のお知らせ
今年も残すところあと一ヵ月となりました。12月に入りこのところ青天の気持ちの良い日々が続いています。猛暑の名残がいつまでも続きましたが、年の暮れ近くになってようやく爽やかな秋日和が訪れてきました。
12月は成道会、歳末助け合い托鉢、定例参禅会の後の大掃除と行持が盛りだくさんです。しっかりと務めて行きたいものです。
岡本年番幹事からのお知らせ
・成道会の参加予定者は12名です。午前8時45分までに集合してください。
・歳末助け合い托鉢の参加予定者は4名です。
・来年の年番幹事を募っています。積極的な申込を期待しています。
・会計報告は来年の一月に行います。
杉浦『明珠』編集委員長からのお知らせ
・椎名老師はすこぶるお元気です。佐々木宏幹先生の論文の索引集を作成されています。
・『明珠』83号の特集は「私が最も感銘を受けた言葉」としました。積極的な寄稿をお待ちしています。
佐藤さんからのお知らせ
・自由参禅のお世話を小畑節朗さんと河本さんがなさっています。小畑さんにご無理をお掛けしないよう、どなたか自由参禅のお世話係をお願いします。
・作務班の人数が減少しています。皆様のご協力をお願いします。
今月の司会者 岡本匡房
今月の参加者 13名
来月の司会者 小畑二郎