今月の提唱
『正法眼藏』「身心學道」の巻(2)
剃髪染衣、すなはち回心なり、明心なり。踰城し入山する、出一心入一心なり。山の所入なる思量箇不思量底なり。世の所捨なる非思量なり。これを眼睛に團しきたること二三斛、これを葉識に弄しきたること千萬端なり。かくのことく學道するに、有功に賞おのつからきたり、有賞に功いまたいたらされとも、ひそかに佛祖の鼻孔をかりて出気せしめ、驢馬の脚蹄を拈して印證せしむる、すなはち萬古の榜様なり。
しはらく山河大地、日月星辰これ心なり。この正當恁麼時、いかなる保任か現前する。山河大地といふは、山河はたとへは山水なり、大地はこのところのみにあらす。山もおほかるへし、大須彌小須彌あり。横に處せるあり、豎に処せるあり。三千界あり、無量国あり。色にかかるあり、空にかかるあり。河もさらにおほかるへし、天河あり、地河あり、四大河あり、無熱池あり。北倶盧洲には四阿耨達池あり、海あり池あり、地はかならすしも土にあらす、土かならすしも地にあらす。土地もあるへし、心地もあるへし、
今月の所感
今月は「身心學道」の巻の第2回目です。先回は心には「質多心」、「汗栗駄心」、「矣栗駄心」というものがあり、その他、「發菩提心」、「赤心片片」、「古佛心」、「平常心」、「三界一心」などがあると示されていました。
道元禅師は、「これらの心を放下して學道するあり、拈擧して學道するあり」と述べられ、これらの心についての理屈をすっかり棚上げにする場合もあれば、一つ一つ検討しながら
釈尊の教を勉強する場合もあると示されています。ただ、釈尊から摩訶迦葉尊者へ、達磨大師から二祖慧可へ、五祖弘忍から六祖慧能へ法が伝わったことも、「以心學心あり」なのだから、心そのものを勉強する必要があると説かれていました。
今回は最初に釈尊の出家時の心が取り上げられています。
まず「踰城し入山する、出一心入一心なり」とあります。踰城とは釈尊が国王となるべき地位を捨てて、こっそりと王城から抜け出して仏道修行者になったことです。
この王城から抜け出すことも一つの心から抜け出すことであり、仏道修行のために山に入られたのも一つの心から入ったことである。王城から出て山に入るのも、自分自身の心から出たものであり、自分自身の心に入ることを表現したものです。
次に「山の所入なる思量箇不思量底なり」とあります。「思量箇不思量底」という語句は『普勧坐禅儀』にも「箇の不思量底を思量」とある、なじみ深いお言葉です。山が釈尊を受け入れたということは、坐禅中に考えないという境地を考えるという内容と、同じであるということです。
また続いて「世の所捨なる非思量なり」とあります。山の中に入って行くことは、世間の人が捨てる所ではあるけれども、「非思量なり」、われわれのものを考える境地を超越した状態であるということです。
このように道元禅師は、釈尊が城を出て仏道修行者になられた心について、このように拈提されているのです。
次に「しはらく山河大地、日月星辰これ心なり」という語句があります。道元禅師はここのところで、心とはどのようなものであるかを言い表されています。
このことばを解釈するに、道元禅師は心というものは独立してあるわけではなく、我々が目の前で見ている山、河、大地、あるいは太陽、月、星という具体的な事実が現にそこにあり、そこに見えているということが、我々が心を持っていることの唯一の証拠であると言われたのだと思います。
つまり独立して心があり、心が山を見たり、河を見たり、大地を見たり、太陽を見たり、月を見たり、星を見たりということではなく、山がある、河がある、大地がある、太陽がある、月がある、星があるという事実が、心というものがあることの唯一の証拠だということです。
だから道元禅師は、「しはらく山河大地、日月星辰これ心なり」、とりあえず心とは何かと考えてみたらならば、山であり、河であり、大地であり、太陽であり、月であり、星であると受け取っておこうと述べられたのだと思います。
では山河大地、日月星辰が心であるならば、山河大地をどのように受け取ればよいのであろうかと、道元禅師は自問自答されています。
山については、大いなる須弥山があり、小さな須弥山もある。高くそびえる山もあれば、横に広がる山もある。河についても、天の河があり、地の河があり、無熱の池もある。北倶盧洲には四つの阿耨達池がある。大地も必ずしも土地とは限らない、心地ということもあると、道元禅師一流の拈提をなされています。
心が山河大地であっても、山や河や大地が色々とあることから、心も人それぞれに異なってくることを示されているのかと想像しています。
ここで「山河大地、日月星辰」の用例を『正法眼蔵』の中で洗い出してみると、延応元年(1239)の「即心是仏」と延応二年(1240)の「諸悪莫作」に見られます。「身心学道」は仁治三年(1242)に著されたものですから、「即心是仏」の巻での引用が最初だと言えます。
「即心是仏」の巻での山河大地、日月星辰の用例は下記の通りです。
古徳云、作麼生是妙浄明心、山河大地、日月星辰。
あきらかにしりぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。しかあれども、この道取するところ、すすめば不足あり、しりぞくればあまれり。山河大地心は山河大地のみなり。さら に波浪なし、風煙なし。日月星辰心は日月星辰のみなり。さらにきりなし、かすみなし。
とあり、はっきりと心が「山河大地、日月星辰」だと説示されています。
因みに古徳とは潙山霊祐のことで、潙山が仰山慧寂に、「妙浄明心とはどのようなものであるか」と問うたところ、仰山は、「山河大地、日月星辰」と答えたのです。この公案を道元禅師が「即心是仏」で取り上げられたのです。
今月のお知らせ
龍泉院の境内の梅の木はもう満開を迎えています。坐禅堂の前や裏山の河津桜もほぼ満開となりました。大悲殿の前の寒緋桜も蕾が大きくなっており、もうすぐ開花を迎えるのではないかと思います。
ついこの間、お正月を迎えたばかりと思っていたのに、もう三月に入っています。まさに無常迅速、慎勿放逸です。
小畑(二)年番幹事からのお知らせ
・四月の降誕会参加を希望される方は、ご記入をお願いします。今のところ参加希望者は8名です。
岡本年番幹事からのお知らせ
・昨年の会計報告をいたします。収入は312046円、支出は519538円。207492円の赤字でした。
杉浦『明珠』編集委員長からのお知らせ
・小林さんの切った竹で「幸掬之茶杓」を作り、初不動の時に明石方丈様にご祈祷をしていただいたものを、皆様にお配りします。
・「従容録特集」の『明珠』81号を3月の例会の時に配布する予定です。
河本さんからのお知らせ
・自由参禅は小畑節朗さんと私の二人で担当しています。参加者は毎回8〜10名ぐらいです。自由参禅に何か助言があればお聞かせください。
明石方丈様からのお知らせ
・初不動と涅槃会へのご協力有難うございます。
・定例参禅会や自由参禅の時には、境内に「坐禅堂で坐禅中」の看板を出してください。
・東堂老師の『続沼南之宗教文化誌』をまだいただいていない人は、一冊お持ち帰り下さい。
今月の司会者 小畑二郎
今月の参加者 16名
来月の司会者 小畑二郎