今月の提唱

『正法眼藏』「谿聲山色」の巻(7)

いはんやはじめて佛道を欣求せしときのこころざしをわすれざるべし。いはく、はじめて發心するときは、他人のために法をもとめず、名利をなげすてきたる。名利をもとむるにあらず、ただひとすぢに得道をこころざす。かつて國王大臣の恭敬供養をまつこと、期せざるものなり。しかあるにいまかくのごとくの因縁あり、本期にあらず、所求にあらず。人天の繋縛にかかはらんことを期せざるところなり。しかあるをおろかなる人は、たとひ道心ありといへども、はやく本志をわすれて、あやまりて人天の供養をまちて、佛法の功徳いたれりとよろこぶ。國王大臣の歸依しきりなれば、わがみちの現成とおもへり。これは學道の一魔なり、あはれむこころをわするべからずといふとも、よろこぶことなかるべし。
みずや、ほとけののたまはく、如来現在、猶多怨嫉の金言あることを。愚の賢をしらず、小畜の大聖をあたむこと理かくのごとし。

今月の所感

今月の「谿聲山色」のご提唱は「初心を忘れざること」について、道元禅師が拈提されているところです。
明石方丈様は道元禅師の初心についての考え方と世阿弥の初心についての考え方には、大変相似していることを、詳しく解説されました(詳しくは『龍泉院だより』79号をご覧ください)。

ここでは道元禅師の「発心」について取り上げてみたいと思います。道元禅師にとって「発心」は重要な問題であり、道元禅師の修証論の中でも重要な問題として、『正法眼蔵』の色々の巻で取り上げられていますが、まず今月の「谿聲山色」での発心の特長を参究してみたいと思います。


「はじめて佛道を欣求せしときのこころざしをわすれざるべし。いはく、はじめて發心するときは、他人のために法をもとめず、名利をなげすてきたる。名利をもとむるに   あらず、ただひとすぢに得道をこころざす。」


と示されています。発心とは名利を投げ捨てて、得道を志すことである。即ち、発心とは得道を志すことであり、発心の時点では得道が未だ完成されていないことを示しています。
このような発心の捉え方は、「礼拝得随」の巻でも見ることができます。


「われ發心よりこのかた、かくのごとく修行して、今日は阿耨多羅三藐三菩提をえたるなり。」


と述べられており、発心して、修行して、菩提を得ることができると示されています。
同じく「發菩提心」の巻でも、


「ほとけは、發心・修行・證果、みなかくのごとし。」


とあり、これらは発心から成仏に至る過程があることを述べられたものです。

一方、「辦道話」では、


「佛法には、修證これ一等なり。いまも證上の修なるゆゑに、初心の辦道すなはち本證の全体なり。」


とあり、初心の弁道が本証の全体であると述べられています。
また「坐禪箴」でも、


「初心の坐禪は最初の坐禪なり、最初の坐禪は最初の坐佛なり。」


とあり、初心の坐禅は最初の坐仏であり、発心すれば成仏することが示されています。道元禅師の修証一等の立場からすれば、発心を成仏に至る過程として捉えるのではなく、発心は直接的に成仏を意味するものとして捉えられているのです。
「谿聲山色」での発心は、発心して、修行して、その結果、菩提を得ることができると示されていましたから、この両者において発心の捉え方に違いが見受けられることになります。

ではこの相違をどのように考えればよいのでしょうか。
道元禅師は「發無上心」では、


「釋迦牟尼佛言、明星出現時、我與大地有情󠄁、同時成道。しかあれば、發心・修行・菩提・涅槃は、同時の發心・修行・菩提・涅槃なるべし。」


とあり、発心することも、修行することも、正覚を成ずることも、涅槃に入ることも、全てみな同時であると示されています。
さらに「發無上心」では、


「一發菩提心を百千万發するなり、修證もまたかくのごとし。しかあるに、發心は一發にしてさらに發心せず、修行は無量なり、證果は一證なりとのみきくは、佛法をきくにあらず、佛法をしれるにあらず、佛法にあふにあらず。千億發の發心は、さだめて一發心の發なり、千億人の發心は、一發心の發なり、一發心は、千億の發心なり。修證・轉法もまたかくのごとし。艸木等にあらずば、いかでか身心あらん、身心にあらずば、いかでか艸木あらん、艸木にあらずば、艸木にあらざるがゆえに、かくのごとし。」


とあり、発心は一度だけでなく、百千万回の発心を重ねなければならないことが述べられています。そして修証も百千万回の修証を重ねなければならないことが述べられていいます。
ここにおいて「坐禅箴」において代表される発心と、「谿聲山色」に代表される発心とが、合致されることになると思います。
即ち、発心すれば成仏するといえども、その発心は一度きりではなく、百千万回発心する必要があるのです。また、発心して修行して菩提に至るという段階的な成仏も、実は同時に行われていることが示されているのです。
道元禅師の修証論では、初心の坐禅は坐仏であるが、そこで安住するのではなく、証が未だ至らないことを自覚して、更に修行に励む。その修行に励んでいること自体が、同時にさとりとなっているということになるのです。
参禅会50周年の記念講演で石井修道先生が「洞山禅師の千百五十回遠忌に想う」で、


「道元禅師は「八九成」という言葉を使われますが、十という完成された姿ではなく、十をも超えた動的なところに価値を見出すのが曹洞禅の特長です。」


と述べられていますが、まさに八九成とも符合するところです。

さらに発心ついては、「發無上心」と同じ日に提唱された「發菩提心」では、


「發心とは、はじめて自未得度先度佗の心をおこすなり。これを、初發菩提心といふ。」


とあります。この「自未得度先度他」は、龍泉院の坐禅堂を建立するにあたって、浄財を勧募する際のキーワードとなった言葉です。坐禅堂建立は龍泉院参禅会のためのものだけではなく、ひろく一切衆生を度すという誓願のもとに進められたものでした。

因みに「谿聲山色」での発心とは、どのようなものか考えてみましょう。それは先々回のご提唱で示された最後のところにあるのではないかと思います。


「ねがはくは、われと一切衆生と、今生より乃至生生をつくして、正法をきくことあらん。きくことあらんとき、正法を疑著せじ、不信なるべからず。まさに正法にあはんとき、世法をすてて佛法を受持せん。つひに大地有情、ともに成道することをえん。かくのごとく發願せば、おのづから正發心の因縁ならん。この心術、懈倦することなかれ。」


正法に逢い、正法を聴き、正法を信じ、釈尊と同じように大地有情と共に成道することを得るようにと発願することが、正しい発心のあり方であると述べられているのです。正法への正信こそが正発心なのです。

ところで先に明石方丈様が「初心」について、世阿弥と道元禅師の考え方が大変似ていることを示されました。この事について、『道元と世阿弥』(西尾実 岩波書店)によれば、世阿弥の能の稽古論や芸能の根底には道元禅師の禅の影響がある。それを裏付けるものとして、世阿弥が娘婿の金春禅竹に送った手紙の中に、大和の補厳寺の竹窓智厳から、得法後の参学が大事であると教えられたことが書かれているそうです。
補厳寺の竹窓智厳の先師は了堂真覚、その了堂真覚は太源宗信の法嗣、太源宗信は峨山紹碩の法嗣にあたることから、竹窓智厳は道元禅師の法系にあたることになります。
その手紙には、「なをなをいかにもいかにもとくほう(得法)の後をねりかしねりかし、こう(劫)をつませ給候べく候」と書かれているそうです。
このようなことから西尾氏は次のように述べられています。


「世阿弥の芸道稽古の態度には、その根底において、遠く道元の仏道修証の思想が影響しているように考えられる。道元の本証妙修の思想が根本となって、世阿弥の芸道稽古論を派生していると感じられるのも、偶然の具合でもなければ、単なる文化的雰囲気の醸成でもないことがわかって、世阿弥の能楽論の根底の深さがわかってきた。」


このことは、道元禅師の正伝の仏法が、中世文化創造の上で、いかに有力な原動力をなしているかが示された一端だと思います。

(発心については『印度學佛教學研究』第四十五巻二号「『正法眼蔵』における発心について 栗谷良道」を参照いたしました。)

今月のお知らせ

連日の猛暑で2023年の夏は過去最高を大きく上回る圧倒的な暑さでした。7月後半からの高温は、フィリッピン付近で対流活動が活発となり、太平洋高気圧の張り出しが記録的に強まったことによるそうです。
9月以降も平年より気温の高い状況が続く予想となっています。まだまだ暑さ対策が必要となりそうです。

佐藤年番幹事からのお知らせ

・今月の月番幹事は石澤さんです。来月は吉澤さんにお願いしています。
・8月16日の施食会には13名の方がお手伝いに参加されました。
・施食会の飾り付けの片づけは、9月の定例参禅会の後に行います。
・来年1月28日(日)の定例参禅会は、初不動と重なるため、1月27日(土)に変更します。
・今日は2名の方が初めて参加されました。

杉浦『明珠』編集委員長からのお知らせ

・8月16日の施食会には椎名老師が参加され、すこぶるお元気なご様子でした。
・椎名老師の入居されている年金ホームで、コロナ感染者が出ましたので、ご老師を訪問されるのは自粛してください。

小畑代表からのお知らせ

・8月1日から14日まで、お盆の玄関受付にあたられた方は、ご苦労様でした。御礼申し上げます。
・13名の方が施食会のお手伝いにあたってくださいました。御礼申し上げます。

明石方丈様からのお知らせ

・8月16日の施食会のお手伝い、有難うございました。大変良い法要ができたと思います。
・卒塔婆を数本纏めて縛ってあるのを、わざわざ解いている方がいましたが、今後は解かないようにしてください。

 

今月の司会者 佐藤修平
今月の参加者 18名
来月の司会者 佐藤修平