「今月の講義を聴いての感想」
参禅会 五十嵐嗣郎
今月の提唱
『正法眼藏』「禮拜得髄」の巻(2)
いはく、法をおもくするは、たとひ露柱なりとも、たとひ燈籠なりとも、たとひ諸佛なりとも、たとひ野干なりとも、鬼神なりとも、男女なりとも、大法を保任し、吾髄を汝得せるあらば、身心を牀座にして、無量劫にも奉事するなり。身心はうることやすし、世界に稲麻竹葦のごとし、法はあふことまれなり。
釈迦牟尼仏のいはく、無上菩提を演説する師にあはんには、種姓を觀ずることなかれ、容顔をみることなかれ、非をきらふことなかれ、行をかんがふることなかれ。ただ般若を尊重するがゆゑに、日日に百千兩の金を食せしむべし。天食をおくりて供養すべし、天華を散じて供養すべし。日日三時に禮拜し恭敬して、さらに患腦の心を生ぜしむることなかれ。かくのごとくすれば、菩提の道、かならずところあり。われ發心よりこのかた、かくのごとく修行して、今日は阿耨多羅三藐三菩提をえたるなり。
しかあれば、若樹若石もとかましとねがひ、若田若里もとかましともとむべし。露柱に問取し、牆壁をしても參究すべし。むかし、野干を師として禮拜問法する天帝釋あり、大菩薩の稱つたはれり、依業の尊卑によらず。
今月の所感
先月のご提唱では、本物の師を得ることが一番大事なことであり、また我が身を軽くして釈尊の説かれた法を重くすべきであることが示されていました。それでは今月のご提唱を見て行きましょう。
「いはく、法をおもくするは、たとひ露柱なりとも、たとひ燈籠なりとも、たとひ諸佛なりとも、たとひ野干なりとも、鬼神なりとも、男女なりとも、大法を保任し、吾髄を汝得せるあらば、身心を牀座にして、無量劫にも奉事するなり」。
法を重くするということは、山門の柱のように露天に立っている柱や、灯籠のように、ありふれたものでも、あるいは様々な仏さんでも、あるいは狐でも、あるいは鬼神でも、男や女など、外見の違いなどは問題にせず、「大法を保任し」、仏法の大法をしっかりと自分のものとして保ち、「吾髄を汝得せるあらば」、達磨さんの教えのエッセンスを自分の者として得ていれば、「身心を牀座にして、無量劫にも奉事するなり」、我が身も心も供え奉って、仏法の前に我が身心を投げ出して、未来永劫に到るまで仕えるという態度を取ることである。このような態度は、我見や先入観をなくすことにより可能となるのだと、明石方丈様は言われました。
「身心はうることやすし、世界に稲麻竹葦のごとし、法はあふことまれなり」。
人間としての体や心を得ることは易しい、稲や麻や竹や葦のような、ありふれた存在であるように、多数存在している。しかしその沢山の人びとが仏法に出会うことは稀なことである。確かに『坐禅という結構なものがあるそうだが、ま、そのうちにやりましょう』と言って終ってしま人が大半です。
「釈迦牟尼仏のいはく、無上菩提を演説する師にあはんには、種姓を觀ずることなかれ、容顔をみることなかれ、非をきらふことなかれ、行をかんがふることなかれ」。
この語句は『修証義』の第5章にに見え、大変親しみのあるお言葉です。
お釈迦さまが言うことには、最高の智慧というもの(仏法の悟り)を述べてくださる方に出会った場合は、その方の家柄がいいとか悪いとか、あるいはどこの国の人とか、そんなものは一切関係なし。容貌や体つきには一切関係なし。欠点が一つ二つあっても気にする必要はない。行いがいいとか悪いとかということも気にする必要はない。
これは『華厳経』「入法界品」の中にある善財童子が53人の善知識を出会う物語のように見受けられます。善財童子は偉いお坊さんばかりでなく、長者、金持ち、猟師、子供、お医者さん、女性等に会って、一人一人から仏法を習い、最後に普賢菩薩に出会い悟りの世界にはいりました。
「ただ般若を尊重するがゆゑに、日日に百千兩の金を食せしむべし。天食をおくりて供養すべし、天華を散じて供養すべし」。
只、その人が持っている佛法の智慧、本当のところから出てくる智慧、そういうものを尊重するが故に、他のことは問題にすべきではない。そういう素晴らしい方々に出会ったら、百千両のお金でも供養しなさい。天使が食べるような美味しい食事を差し上げて供養しなさい。天から花を散じて供養しなさい。
「日日三時に禮拜し恭敬して、さらに患腦の心を生ぜしむることなかれ」。
ここも『修証義』に取られています。毎日、朝・昼・夕の三時にそのような人に礼拝し、敬い奉って、煩わしいとか面倒だと思うような心を起こさない。。
「かくのごとくすれば、菩提の道、かならずところあり」。
このようにしていれば、菩提、悟りが自然と得られてくるものだ。
「われ發心よりこのかた、かくのごとく修行して、今日は阿耨多羅三藐三菩提をえたるなり」。
ここまでがお釈迦さまのお言葉です。お釈迦さまは、自分は発心してこのように修行して、例えようのない素晴らしいお悟を得た、と言われたのです。
「しかあれば、若樹若石もとかましとねがひ、若田若里もとかましともとむべし」。
お釈迦さまがそのように言われているから、樹木や石にも仏法を説いて頂きたいと願う。田んぼや里にも仏法を説いて頂きたいと願うべきである。
確かに樹木や石は願い求めなくても仏法を立派に説いています。只それを見聞きする力が我々にないと分からないのですね。
「露柱に問取し、牆壁をしても參究すべし」。
同じく、そのあたりに立っている柱を見ていけば、説法していることがわかる。土でできた垣根も、それが一体何かということを参究して、仏道を求めて行くべきである。
「むかし、野干を師として禮拜問法する天帝釋あり、大菩薩の稱つたはれり、依業の尊卑によらず」。
狐を師匠として礼拝し、その法を質問したという帝釈天がいた。これは教典の中に出てくるお話です。そして帝釈天は狐を大菩薩として崇め奉ったのです。つまりどのような行動によって悟りを得たか、悟り方の行動に尊い行動とか卑しい行動などの区別はないのです。
今月のお知らせ
昨年はお米が豊作だったにもかかわらず、依然としてお米の値段は高止まりしています。政府は備蓄米を21万トン放出することを決めましたが、果たして高値が解消することになるのでしょうか。この際、海外からお米を輸入していれば、高値はもっと早く解消していたのではないでしょうか。
今月の参禅会には新しい方がお一人参加されました。
齋藤年番幹事からのお知らせ
・2月15日の涅槃会に参加された方はご苦労様でした。参加者が少なかったので、法要の侍者・侍香は無しで行いました。
・昨年の会計報告では、龍泉院のHPのサーバー使用料が記載されていませんでしたが、調べた結果、一昨年に既に支払われていることが判明しました。なお、昨年の使用量は今年の1月中に処理しました。
杉浦『明珠』編集委員長からのお知らせ
・『明珠』83号の校正が校了いたしました。表紙には小林さんが撮られた坐禅堂にある喚鐘(かんしょう)の写真が掲載されています。この磬子は2006年3月の山門落慶式にあわせて椎名老師が購入されたものです。
・厄除け御守りとして、龍泉院の竹で靴ベラを作りました。「苦痛滅羅施」を名づけました。
明石方丈様からのお知らせ
・涅槃会の法要の後、坐禅堂のまわりを掃除してくださり有難うございます・
・三仏忌(涅槃会・降誕会・成道会)の時には、大悲殿を使用せず、本堂を集合場所とします。従って本堂の入り口から出入りしてください。
・「坐禅のすすめ」を500部用意しました。
今月の司会者 齋藤正好
今月の参加者 13名
来月の司会者 齋藤正好